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[コメント] グラン・トリノ(2008/米)

これは『ラスト・シューティスト』ではないのだ。かつてジョン・ウェインロン・ハワードにそうしたように、イーストウッドは少年に「銃の撃ち方」を教えることをしない。彼が教えてみせるのは「恋愛の始め方」であり「男の話し方」に過ぎない。『グラン・トリノ』は世界一感動的な「教育」の映画だ。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まず、これが果たして本当にクリント・イーストウッドの最後の出演作なのかということについて。私たちはイーストウッドが『ミリオンダラー・ベイビー』の公開時にも「俳優業はこれで引退する」という趣旨の発言をしていることを知っているのだから、今回の俳優業引退云々についてもとりあえずは話半分に聞いておくのが賢明な態度だろう。しかし、やはり『グラン・トリノ』はイーストウッドの最後の出演作となってもまるでおかしくはない、俳優イーストウッドの集大成的作品だ(と同時に、『センチメンタル・アドベンチャー』のように慎ましい規模の小品でもあります)。だから、この映画は、彼が過去に携わった多くの作品を想起することを積極的に観客に許している。そうした『グラン・トリノ』と過去のイーストウッド作品の関連の具体的な指摘は、当然ながらときに重要であり、ときに瑣末なものであるだろう。だが何よりもまずそれは、映画ファンとして、イーストウッド・ファンとして最高に楽しいゲームに違いない。「ウォルト・コワルスキーはジョージー・ウェールズのように唾(噛み煙草)を吐く」あるいは「『ミリオンダラー・ベイビー』のように老眼鏡をかけてみせる」「『スペース カウボーイ』でもかけていなかったか?」「それはドナルド・サザーランドではなかったかしら」などと。しかしこのゲームを始めてしまったら本当にきりがない。ここでは他の作品を引き合いに出すのは最小限に留めようと思う。

さて、もし「クリント・イーストウッドの名前から離れて映画を見る」という所業が可能であるならば、映画の出来については、イーストウッドにとっては雇われ仕事に過ぎない『チェンジリング』のほうをより高く評価するべきなのかもしれない。だから私は「『グラン・トリノ』は『トゥルー・クライム』ないし『スペース カウボーイ』以来の傑作である」という云い方をしてみたい。これは、近年のイーストウッド作品ではいくつかの場面の隠し味程度の位置に収まり、『ミスティック・リバー』に至っては完全にその姿を消し去っていた「笑い」が前面に押し出された、とても笑える映画なのだ。イーストウッドのリアクション演技は彼自身が築き上げた型通りのものだが、同時に途方もなく豊かで笑いを誘う(まるで笠智衆のように!)。犬や、隣家の婆さんや、友人のイタリア系理髪師とのやりとり。笑いは常にイーストウッド映画の重要な要素だった。そして彼はその長大なキャリアを通じて、笑いの演出なり演技なりに失敗したことがまったくない(『シティヒート』だけは若干危ういところがありますが)。これは掛値なしに驚異的なことだ。また見事にイーストウッド的ユーモアを体現したビー・ヴァンアーニー・ハーもすばらしい。

次に、卑しいことを云うようだが、やはりこれは「泣ける」映画だ。イーストウッドの初登場カットから既に私の涙腺は崩壊気味だったが、終盤「死の準備」を始めるシーンからはもう涙が止まらない。バスタブに浸かりながら、煙草を吹かし、犬に話しかける。芝を刈る。散髪をする。スーツを直す。そして地下室の「扉」を隔てて繰り広げられ、直前の懺悔シーンとも重ねられているであろうビー・ヴァンとの別れの場面。『チェンジリング』での「窓」が記憶に新しいが、イーストウッドの「隔てるもの」に対する映画的感性の鋭さはいや増している。これはナルシシスティックの地平を遥かに超えてただひたすらに美しい「準備」の映画でもあるのだ。やはりこれは『ラスト・シューティスト』なのか? いや、『ラスト・シューティスト』であり、『ラスト・シューティスト』ではないのだ! 「映画」における前人未到の獣道を、イーストウッドは今この瞬間も歩みつづけている!

 最後に、ここでは以前に比べて「教会」がかなり好意的に描かれているように見えるということも付記しておきます。云うまでもなく、イーストウッドはこれまで宗教とりわけキリスト教にいっさい頼らない生き方を、少なくとも映画の中では貫いてきました(それと同時に、まるで観客を罠に掛けるかのように宗教的モティーフを作品にちりばめることもしばしばしてきました。『グラン・トリノ』ではイーストウッド自身が「十字架」になってしまうのです!)。ここでの神父クリストファー・カーリーもやはり無力には違いないのですが、愛すべきところを持った誠実な人物として造型されています。したがって問題はあくまでも「個人」なのかもしれません。宗教云々とは関係なく、カーリーは一人の人間として誠実であり、たまたま神父でもあった、ということでしょうか。

(評価:★5)

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