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[コメント] チェイサー(2008/韓国)

物語を転がす要因がもっぱら警察の無能さであるという点が作劇の稚拙さとして批判を集めるだろうし、またそれが現代韓国の社会批判として構想されたものだったにしても特に感心はしない。しかしとても面白い。観客が嫌悪感を抱くであろうこともものともしない、面白さに対してひたすら貪欲な姿勢に敬服する。が、しかし。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず最高のカットを挙げるならば、キム・ユンソクが同業他社の男を不意にパイプ椅子で殴る引きのカットだ。その唐突感もさることながら、椅子を持った左腕の伸び方をはじめユンソクのフォームが実にすばらしい。今後「椅子で殴る」アクションを撮る演出家にとって指標のカットとなるだろう。またユンソクのキャラクタも面白い。生業にとどまらず人間的に誉められたところがまったくないような男で、警察を辞めたからそうなったのではなく、そういう性質の男だから警察を辞めさせられた、というのがいい。そのような彼だからこそ、少女との触れ合いも素直に感動的だと思う。

さて、私がこの映画で気に入らない点は、率直に云って、ソ・ヨンヒが釈放されたハ・ジョンウに殺されてしまったことである。それは素朴に生理的あるいは道徳的嫌悪感と表現してもよいものだが、ここではもっと素朴に「それでは私の感じる面白さが最大化されないから」と云ってみたい。デヴィッド・ウォーク・グリフィスが創始したともまことしやかに云われる「ラスト・ミニッツ・レスキュー」がどうして今に至るまで連綿と受け継がれてきたのか。非常に乱暴な云い方であることを承知で云えば、「それが観客の感じる面白さを最大化させるから」だ。ナ・ホンジンはどうしてヨンヒが間一髪で助かる面白さを選ばなかったのか。それは最後の対決で得られる面白さを取ったからだろう。そこではもうユンソクはヨンヒを助けるという目的を持ちえない。ユンソクは端的に復讐と呼ぶこともできぬ云いようのない情念に突き動かされ、ジョンウを追い詰め、格闘アクションになだれ込む。これこそがホンジンの描きたかったものなのかもしれない。その選択に対して論理的な批判を加えることはできない。しかし私は私の感じる面白さのために、壮絶な格闘の末に間一髪でユンソクがヨンヒを助けるという結末でいいじゃないか、と云う。

ところで、追跡→逮捕→釈放→追跡→対決という大まかな流れにおいて、この映画は『ダーティハリー』を踏襲している。敵役が犯人であることが主人公および観客には明らかであるにもかかわらず釈放されてしまう、という枢要な点において特にそうだ。『ダーティハリー』は(公開当時の受け止められ方は知らないが、少なくとも現在では)「ただのスカッとする娯楽映画」と見ることはできない映画だ。正義を貫徹するがゆえに「ダーティ」なクリント・イーストウッドは法を踏み越えて犯人を射殺し、警察のバッヂを投げ捨てる。このようなきわめて引き裂かれた結末を持つ『ダーティハリー』でさえ、犯人がジャックしたスクールバスは間一髪で救われるのだ。『チェイサー』の終盤を『ダーティハリー』になぞらえて云えば、スクールバスの子らが犠牲になった後に犯人を殺すようなものだ。改めて云うが、それにはそれの面白さがあるだろう。それこそがホンジンの狙いだったに違いないし、また現代映画らしさと呼ぶべきものなのかもしれないとも思う。しかしそれでは「私の」面白さは最大化されないのだ。

(この映画にラスト・ミニッツ・レスキューが存在するとすれば、それは、最後のユンソクとジョンウの勝負が決しようとするときに警察が到着してユンソクが殺人者にならずに済んだ、という点でしょう。このように捻れた展開と結末、それに反してストレートな活劇性。と云えば賞賛のものにしか聞こえませんが、やはり私は納得がいかないというか。お前みたいなものにはアメリカ映画が性に合っているんだよと云われれば返す言葉もありませんが……)

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)おーい粗茶[*] 死ぬまでシネマ[*] uyo ナム太郎[*] DSCH[*] ガリガリ博士[*] 赤い戦車[*] ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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