[コメント] 無法松の一生(1958/日)
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『無法松の一生』(1943)のセリフリメイク。かつて阪東妻三郎の復帰作ともなった主役の松五郎に今回は三船敏郎を起用する。
そもそも1943年の作品は監督にとっては不満の多い作品だったという。「車夫が軍人の妻に恋心を抱くとは不謹慎」とされ、軍部の命令によってその部分が切られてしまった事をいたく気にし続けた監督は、これをリメイクすることをずっと考えていたらしい。そしてこれまた希代の名優三船敏郎という人物を得てついにリメイクと相成った。 物語そのものは本当にそのまま43年版をトレースした感じ。元が良いので、手を入れる必要は無いと判断したのは正しい。リメイクとはいえ、オリジナルに勝るとも劣らぬ安定した出来は、流石稲垣監督円熟期の作品だと思わせられる。
稲垣監督がこだわった松五郎の愛の告白も当然本作には入っているが、私個人の意見ではそれは必要ないと思うので、あったからどう。と言う思いもない。
そうなると取り立ててどちらが良い悪いを言う必要はないので、主役二人のパーソナリティの違いと言うことになるだろうか?
阪東妻三郎も三船敏郎も活劇も出来る名優ではあるが、この二人は多少役幅が違っている。例えば阪妻の『破れ太鼓』(1949)と三船の『天国と地獄』(1963)の二作を較べてみると、どちらも功成り名を挙げた大人の役を演じているが、家族の危機に対し、阪妻は意地を張り続けるが、どこかにもろさを感じさせる役柄だったが、三船の方は、徹頭徹尾“強い男”を演じ続けた。どちらも見事なはまり役だったが、やはり役柄のどこかに“弱さ”を感じさせられるかどうか。が松五郎を演じる際の違いになっていたのではなかろうか。
どこかに弱さが見られる阪妻版に対し、あくまで強い三船版。同じ役をやっていても、たとえ口では同じ台詞を言っても、違いを感じさせられる。役の個性ってのはやっぱりあるものだ。
こればかりは好みとしか言いようがないのだが、結論から言えば私は阪妻版の方が好き。やはり人間、どこかに隙が欲しいし、ちょっと下品な感じの方が松五郎には似合う気がするよ。そう言う意味での雰囲気作りはやっぱり阪妻がはまってると思われる。
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