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[コメント] 愛を読むひと(2008/米=独)

抽象的で公的な記号=文字と、生々しい身体性としての声=朗読。その対比が結局はプロットに内包された構造という以上の官能性や厳粛さをもって描かれていないのが惜しまれる。あまりに重い悲劇をメロドラマの歯車として機能させる無頓着さにも疑問。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







甘ったるい邦題も気色悪いが、ナチの元で働いていたことの責任の問い方も、その視角や描写に、甘ったるい悲劇に回収しようとする意図が透けて見えて気色悪い。ハンナ(ケイト・ウィンスレット)の罪と、文盲であるという秘密、この二つを、社会から弧絶した彼女の境遇という点で安易に重ねてしまっていることには憤りを感じないわけにはいかない。終盤にアウシュヴィッツの生き残りの女性(レナ・オリン)を登場させ、ハンナが遺した札束は拒みながらも、入れ物の缶だけは、少女時代に宝物入れにしていたのを奪われた缶の代わりとして受けとる、という形で、少女時代という聖域にハンナも共に包み込むような場面が演出されているが、作品全体の雰囲気の中に於いてはこの場面も、些か安直にハンナの罪を感傷的なメロドラマに解消しすぎに見えてしまう。

ハンナは文盲であるが故に、事務係への出世は却って障害となりやむを得ず次の職場に選んだSSではユダヤ人を見殺しにし、生き残りの女性が出版した本(つまり文字)によって告発され引き出された法廷では、文盲であることを隠す為に他の看守たちの罪まで一身に背負うことになる。一応はハンナの罪は罪として描き、最後に彼女と対面したミヒャエル(レイフ・ファインズ)にも「過去を思うことは?」という台詞を吐かせてはいるが、「死者は生き返らない」と答えることしかしないハンナは、文盲であり囚人であるという孤立感に幾らか酔いながらミヒャエルに甘える自己愛的な女に見えてしまう。そのハンナの醜悪さを醜さとして充分に引き受けることもなくこの映画は、かつてミヒャエルとデートをしていた時にハンナが聖歌に涙を流していた教会に、ミヒャエルが娘とともに訪ねて来、娘にハンナとの過去を語り始める、というオナニズムな感傷性に雪崩れ込む。

これはもう、ユダヤ人に唾を吐きかけられても文句が言えないだろう。この、何となくイイ話として観客を丸め込もうとする無責任さは、はっきりと背徳を描いた『愛の嵐』などよりよほど不道徳で非倫理的。ハンナは他の看守の分まで罪を被って同情の余地があるかに思わせるが(他の看守たちはいかにも卑劣かつ狡猾そうな顔をしている)、彼女らの罪を曖昧なままにして、白日の元に晒す機会を損ねたという点で、これはハンナの罪悪というべきところだろう。その理由たるや、文盲であることを隠したいという、私的な羞恥心にすぎないのだから。

ミヒャエルとハンナの関係は、ハンナの文盲を知るのがミヒャエルのみであることに加え、年の差という点でも社会と隔絶している。デートのシーンで、レストランの女店主に「お母様もご満足?」と訊かれたミヒャエル(ダフィット・クロス)は、「ええ」と答えた直後にハンナにキスをする。この「ええ」は、単に直後の行為で女店主を驚かす為の布石というよりは、ミヒャエルにとってハンナは「母」でもあることを匂わせていたのかも知れない。というのもミヒャエルは、病床のシーン以外は食事シーンくらいでしか家族と一緒に居ないのだが、関係が極めて希薄なのだ。病床のシーンでも既に、感染症な為、看護する母以外は遠ざけられていた。そして、ハンナとの出逢いのシーンでは、家路の途中であったミヒャエルは、ハンナに送ってもらって家に向かう。つまり作品内ではミヒャエルの家よりもハンナの方が先行している。

長じてからもミヒャエルは、娘を連れてしばらくぶりに母の許を訪ねた際、「父親の葬儀にも出なかったのに」と母に言われ、またミヒャエルの訪問の目的も、離婚の報告なのだ。このシーンではまだ幼い娘だが、成長した彼女(ハンナー・ヘルツシュプルング)とミヒャエルが再会するシーンでは、親子関係の方も希薄であったらしいことが覗える。こうした、誰にも心を開かないミヒャエルの在り方に、ハンナとの秘密の関係が関わっていることは容易に推測できる。

ハンナは、文字(元収容者の回想録)によって告発され、文字との隔絶(文盲)によって罪を一身に被るわけだが、一方、ミヒャエルら生徒を法廷の見学に連れて行った教授(ブルーノ・ガンツ)は、世の中の判断基準は道徳ではなく法律であり、合法か違法かが全てだと語る。それだけではなく、行為が行なわれた当時の法律が基準となるのだと。つまり、成文法という「文字」が、ハンナの立場とは逆方向から照射されている。

一方、官能的な場面は、専ら「水」と共にある。体調を崩して路面電車を途中下車したミヒャエルの吐瀉物を、バケツの水で流し清めるハンナ。石炭を運ぶよう彼女に頼まれたミヒャエルが炭だらけになったのを、風呂に入らせるハンナ(「その姿じゃ家に帰らせられないわ」という、ミヒャエルの「家」が口実となって、彼を全裸にさせる流れが作られるという、絶妙の匙加減)。デートで水遊びをするシーンでの、塗れた下着に透ける乳房。特にこのシーンは、ミヒャエルがいつも水浴場で同級生らと一緒に居ることとの対比となっている。ミヒャエルには、彼に好意を抱いている様子の、若く美しい新入生の少女がいるのだが、彼女の金髪と肌と瞳の眩しさは、ハンナの熟れた生々しい肉体と比べると、何か抽象的な美しさのようにも映じる。とりわけ、全裸で向こうを向いたハンナの背は、ただ滑らかで透明なだけの若い肉体には無い、芳醇な色香が匂っている。

そんなハンナは、彼女の秘密を知っているからこそミヒャエルが送り続けた朗読テープによって、獄中で文字を習得していく。このことは、朗読者としてのミヒャエルの存在が、却って朗読者の存在を不要にする助けとして働いたということであり、二人の秘密で親密な関係が、その必然性を解いてしまうということでもある。そして打目押しのように、ハンナの肌に刻まれた老いが、「時」による断絶を否応無く突きつける。

夜の路面電車に、一人だけの乗客として居るミヒャエルが、切符切りとして働くハンナと対面するシーンは、世間から切り離された二人きりの世界を生き、またその中で行き違う関係が最もよく表れた場面だろう。そもそもが、路面電車に乗り続けることに耐えかねたミヒャエルの嘔吐が事の発端である点が既に示唆的ではないか。

(評価:★3)

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