[コメント] オズの魔法使(1939/米)
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ライマン=フランク=ボームのファンタジー小説の第1巻の映画化。MGMミュージカルの代表作にして、それまで“天才子役”と呼ばれたジュディ=ガーランドを「永遠のアイドル」へと大きく飛躍させた作品で、現在も尚多くのファンを持つ名作の一本。実際は公開当初は大きな利益を上げられなかったものの、1950年代になって繰り返しクリスマス時期にTV放映されることで人気となり、「最も愛される映画」としての地位を確立する。
本作は幻想世界映画の手本とされる作品とも言えるだろう。キャラクタの魅力、ミュージカルのスタンダード・ナンバーとなった名曲の数々、舞台装置の面白さ、ファンタジックな設定などなど、どれをとっても一級品である。まあ、今の目から観れば、舞台装置がちゃちかったり、明らかに作りものじみてはいるものの、これこそが“見立て”というもので、映画には(それ以上に特撮には)必要なものであることを逆に強く印象づけられる。画面エフェクトに工夫も多く、良い勉強になる作品だろう(端的に言えば地上はモノクロで、オズの国はカラーという対比がなされているとか)。
物語についてだが、物語そのものは軽快に流れているが、ラストでちょっと「おや?」と思う。あれだけ出会うことを熱望したオズの魔法使いがなんの力も持っていなかったのだ。結局ドロシーが家に帰れたのは最初に出会った仙女グリンダによってだった。「だったら最初っからやれよ」と言いたいところだが、実はここには重要なメッセージがある。
ここに出てくる主人公たちはそれぞれ目的があって、オズの魔法使いに出会うのは、その夢を叶えるためだったのだが、その過程で冒険を続けている内、いつの間にかそれを手に入れているのだ。
これは面白い点。彼らはそれまで望みはあっても目的がなかった。だが、目的が出来たところで否応なしに努力を強いられることとなる。結局本当に欲しいものは自分で手に入れなければならない。何かを求めているなら、、努力の過程でそれは自分のものになっているのだ。
それにたとえ違った願いを持っているとしても、仲間のために協力することで、実はそれが一番自分のためになっているのも大切な点だろう。「情けは人のためならず」とは日本でも言うが、そんなことを考える暇もなく、仲間を助けている内に、実は自分が一番助けてもらっていることに気付くのは重要である。
良質な童話はメッセージが隠されているとはよく言われるが、本作は街がいなくその“良質”さを持った作品といえよう。
ただ、本作の場合はいろいろ細かいことを言うより、物語の楽しい雰囲気を満喫するためにあるようなもので、楽しさを感じられれば、それが一番。繰り返し繰り返し観るのに最も適した作品と言えるだろう。子供は勿論大人にも充分お薦めできる。
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