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[コメント] いまを生きる(1989/米)

人は一生でバケツ一杯分の涙を流すと云う。僕はこの映画を三度見て間違いなくジョッキ一杯分は泣いた。「泣けた」んじゃなく「泣いた」。僕は、「泣けた」ということばは大嫌いだ。この映画を見て頂いたら、その意図をきっと理解してもらえるだろう。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どんな欠点のある映画でも、それを補い余って、心に訴えかける映画、心に残る映画がある。その要因は、きっと映画そのもの自体以外の文脈、コンテキストによるものだろう。例えば、その映画を見た時の、自分にとっての人生における位置だとか。

この映画、見様によってはメロドラマチックで、かなりワンサイドである。見様によっては、息子を自殺に追い込んだ父親の心情も理解できなくはない。見様によっては、キーティングも彼の自殺において父親と同じだけの責任があると言って過言ではない。

この映画、「泣かせ」のあざとさが見え隠れする、と言われても否定はしない。

だからなんだというのだ!

誰に何と言われようと、僕はこの映画に胸を切られた。

僕の生涯において、幕が下りても、あれだけ劇場で嗚咽することはもうあるまい。もう一度言う。「泣けた」のではなく「泣いた」。受動や可能の主体性のない「涙」ではない。

僕にとっては、この映画、最良の時に出会った。

そして、この映画の生徒たちは、最良の時に、キーティング先生に出会ったのだ。

「出会い」とはそういうものでなかろうか。

心の奥底から熱いものが湧き上がる、それを感じる「出会い」。

貴方には、そういう「出会い」はありましたか?

*追記1 映画のパンフで読んだのだが、ピーター・ウィアー監督、日本人からインタビューを受けている時、「この映画はせつないですね」と言われ、その意味を問い、その「セツナイ」の文字を紙に書いてもらい、そっと胸のポケットに仕舞ったという。もうそのエピソードだけで、この監督の作品は全部見てみようという気になった。

*追記2 例えば似たようなシチュエーションをロビン・ウィリアムスが演じている作品に約10年後の『グッド・ウィル・ハンティング』があるが(しかもこの作品でオスカー受賞)、僕にとっては、ほとんど心に響くものがなかった。

(評価:★5)

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