[コメント] 空気人形(2009/日)
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さて、このペ・ドゥナのすばらしさの根拠は何か。「心を持った空気人形であること」か「性欲処理の代用品であること」か。おそらくそれらは副次的な要件でしかない。私は、ペ・ドゥナの「学習者」としての在り方に感動する。目にする行為、耳にする言葉を片端から模倣し、学習すること。それがペ・ドゥナのキャラクタを定義づけている。彼女の「学ぶ姿」が感動的なのだ。バイトからの帰り道、ARATAの言葉を書きとったものであろうメモを見ながら「『メリーに首ったけ』はかなり笑えるらしい」などとたどたどしく発語する愛らしさ。ARATAの殺害でさえも「空気を抜き、空気を吹き込む」という彼自身の行為の模倣としてなされたものである。しかし、それはペ・ドゥナにしかできない模倣だ。そもそも模倣/学習とは、多分にその模倣/学習対象の「代用品」たれる可能性を獲得する訓練である(他者Aの行為Bを模倣し、学習するということは、他者Aのように行為Bを行うことができるようになること―つまり他者Aの代用品になれるということだ)。このペ・ドゥナはその模倣の原理を忠実に貫くことで、だが代用品以上の可能性を獲得する。一途さ、純粋さと云ってもよいであろうその忠実は、しかし何によって具体化されているのか。脚本、ではない。ペ・ドゥナのひとつびとつの所作であり、表情である。是枝の演出を不当に低く評価することはむろん許されないが、これはペ・ドゥナの映画だ。リー・ピンビンでさえ多くのシーンでペ・ドゥナに「撮らされ」ているように見える。
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