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[コメント] 2012(2009/米)

デイ・アフター・トゥモロー』の頃のディザスター・ムービー系は「一人の命を守るために多くの人が犠牲になる」というのが定番だった。それはアメリカ人への警鐘でもあり、911などに見られた「美談」をクローズアップするものであり、同時にアメリカ人の「憧れ」でもあったわけだ。
BRAVO30000W!

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 レイシズムを揶揄したとも見られる『インディペンデンス・デイ』も然ることながら、その後もアメリカへの皮肉を逆手にとって「アメリカ人サイコー」的な映画を撮ってきているように見える(だから日本ではアホらしくて、はいはいわかったわかった、みたいな反応する人が多い、と私は見ている)のだが、今度はインド人にデカい発見をさせて、そのインド人は救われず友人のアメリカ人が救われるというところに始まり、チベットの高僧やヴァチカンの僧侶たち(とイタリアの首相)、海賊放送のDJ、ロシア人のボクサーとその彼女、ロシア人の実業家、老いたジャズ・ミュージシャン、ジャズ・ミュージシャンの息子夫婦(奥さんは日本人)、主人公の元妻を寝取った整形外科医、そしてとどめは米国大統領を殺してしまう。

 基本的にハリウッド映画は「悪いことをした人にはその分悪い仕打ちが待っている」というシークエンスを見せるのが暗黙の了解になっているが、この作品はさらに変則的に「無実の人が無抵抗で死んでいく」ことを見せることによって力にものを言わせている人たちを結果的に「さらに悪い人」に見せるという「アメリカ人にはこれくらいせんとわからんだろ」的な演出が施されている。

 一見、場当たり的に登場人物がクローズアップされて死んでいくように見えるが、実はクローズアップするのには意味があるのだ、と考えながら見ると、この映画も印象が変わってくるはずだ。

 マヤ暦の予言を引用して物語は文字通り(物理的に)世界の終末を描くスタイルをとっていて、マスコミもCGの迫力や「世界の終末が来たら皆さんどうしますか」的なメッセージを取り上げていたが、本質は物理的でなく世界が破綻した時、人はどうしたものかというメッセージが込められていると思う。世界の首脳陣があちこちで入れ替わる時期が来るのも2012年だ。果たして0001年に人類は「ノアの方舟」の如く選ばれた人たちが新たな世界を創ることができるのか。

 少なくとも家族円満に過ごすことができないようでは明るい未来は来ないのではないか。そんな声が聞こえてくるようだ。

 じゃあなんで3点なのかと言えば、私は『ターミネーター2』に代表されるような説教臭い映画には辛い点数をつけるからだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Orpheus ダリア[*]

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