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[コメント] 観察 永遠に君をみつめて(2007/日)

緒川たまきを見たくて見た。何でもなかったようで、何かではあったような話を、二部構成という趣向できれいに纏める。こういう「距離」の「関係」も、あながちウソではないと思わされたのだから、これは成功しているのだろう。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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観察』というタイトルからは一方的な視点の映画のようにも思えるが、実際には茂樹と弥生、それぞれ1時間ほど掛けて双方の視点で描写される二部構成になっている。方向を掴めない男と、距離の掴めない女。互いに不器用な人間同士が、届くようで届かない、あるいは届かないようで届いていた、微妙な距離を隔てて接しあっていたその年月を、二部構成という趣向で効果的に描写し得ていると思う。構成上、茂樹篇が前で弥生篇が後になっており、言うなれば茂樹篇がフリで弥生篇がウケとなるような形になっているが、それもこの映画では謎掛けと謎解きといった按配で、説話論的に効果をあげていると思う。その物語の内実は、さして起伏のある話というわけではなく、むしろどこにでもあるような人生の、何気ない挿話の連続でしかないのだけれど、ここではむしろそれをこそ踏まえて描出したかったのだろうとも思われた。この物語の要点は、互いのしがない人生の中で覚束ない「距離」のもと、それでも確かに交わされた果敢無い「関係」を描出することにこそあったのだろう。

男性が見つめ、そして女性は見つめられる。どれだけ覚束ない「距離」で、かつ果敢無い「関係」であろうとも、それだからこそのエロスもあるとは思う。この映画の中で男性が始終大事に抱き続ける望遠鏡は、象徴的な意味では男性器なのだと言ってもよいであろうし、その男性器に狙われ続ける女性が心密かにそれを求めてその身を晒すというその構図に無意識裡に宿るのは、やはりエロスだ。覚束ない「距離」と果敢無い「関係」のもとに息衝くエロス。たとえばふと思い出されるのは、光石研が見出すことになる、夜のベランダで遠くを見つめる緒川たまきの横顔だ。それは自分を見つめる望遠鏡の光を見つめ返す横顔だったのだとあとから想起すれば、そのエロスに胸が締めつけられる思いも湧く…。

都合上、何気ない挿話の連続で話をもたせていくにしても、もう少し尺は切り詰めて、2時間内に収めることも出来たのではないかとは思うが、これはこれで、何気なくても印象に焼きつくシーンもあったので、むげには出来ない。まあ、個人的には緒川たまきの魅力にも随分とほだされた作品ではあったのだけれど。

(評価:★3)

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