[コメント] カールじいさんの空飛ぶ家(2009/米)
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しかし、最初の10分には参った。映画というのは半分以上は最初の5分で評価が分かるものだが、10分足らずでうるっと来させる出来は凄いものがある。人の死を使うのは半分裏技みたいなものだが、その裏技の威力を充分に知って使っているのだろう。見事な掴みだった。
映画全般の質も高く、アクションで充分見せて、人のつながりという落とし所に持っていく脚本もうまい。
そうなると後は好みの問題になるのだが…
問題はその部分。質は高いのに、私には中盤以降で、はまりきれずに終わってしまった。
それは恐らくは中盤以降アクションの比率が高くなりすぎたため。人と人とのつながりを重要視するならば、会話と心の交流をこそ中心にして欲しかったものなのだが、結果的にアクションの連続でいつの間にかお互いが結びつきあうと言う構成となってしまうと、いかにも80年代のハリウッド映画っぽくなってしまい、大変俗な感じを受けてしまう。かつて「スピード」で語られたことだが、共に危機を乗り越えると、いつの間にか心のつながりまでできてしまいがち。近年の映画はその轍を踏まないよう、なるだけそれを回避してきたはずだが、この作品についてはそれが全開。
確かに若い男女が共に戦うと言うのではなく、ここでは老人と子供に置き換えられているところは目新しいが、ちょっと映画の構成としては単純すぎないか?ピクサーの前作『ウォーリー』(2008)も後半はアクション主体だったが、ウォーリーとイヴの心の交流シーンにもたっぷり時間が使われていて、それが映画全般の質を上げていた。そのシーンの重要性は分かっていたんじゃないかと思うのだが、ここではあえてそれを切り捨てた感じ。
思うに、これはカールとラッセルの間の友情物語に、鳥や犬の友情やら、カールの過去の思い出という出来事を挿入してしまったため、その狭雑物が二人の間の物語を阻害してしまったんじゃなかろうか。孫と祖父位の年齢差での友情なんて、腕の見せ所になるだろうが、敢えてそれを廃してしまったのが痛い。
それと、この作品に明確な敵は必要だっただろうか?その存在が話自体を安っぽくしてしまった感が拭えない。せっかくジャングルを主題にするんだから、そこで困難に立ち向かう形であった方が私なりには納得いった。
アクション部分を納得いく感じにするとなると、チャールズ卿は既に死んでいて、その遺志を継いだアルファに率いられる犬たちが鳥を追い続けていて、最終的にカールとラッセルの活躍で説得すると言った感じ…ってこれじゃ『ウォーリー』そのまんまか。
質そのものは高いし、良い物語であることも認める。だからこれは純粋な私の好みの問題として、もう一歩踏み込みが甘かった作品と思えてしまう。少々勿体ない作りだったな。
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