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[コメント] フローズン・リバー(2008/米)

勿論、悪くはないが、国境を越える道としての「凍てついた河」を渡ること(=危険な筈の行為=違法行為)への恐れが充分に演出されず、そこを渡ることにも早々に慣れてしまうのがまず不満。広漠とした氷原と化した河の空間性も充分には活かされていない。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







要は、映画的に「面白く」してやろうという稚気があまり見られないのであり、監督は人間ドラマに焦点を当てることに集中している印象がある。それは別に構わないのだが、「凍結した河を渡る」という行為そのものに演出の手腕を発揮しようという野心の欠如は、結果として、二人のヒロインの共同作業、心の通い合いの描写を幾らか淡白にしなかったか。

レイ(メリッサ・レオ)は、いったん腹を括ると不法入国の手伝いはプロとして淡々とこなしていたように見え、犯罪行為に手を染めているという恐れなり葛藤なりを抱いているようにはあまり見えない。それゆえ、パキスタン人夫婦をテロリストではと強く疑うという、極端な人種的偏見や、彼らの持っていた鞄を凍結した河の途中で捨てる行為も、かなり唐突に見える。せめて、レイの目にはこの夫婦が多分に疑わしく見えているのだという演出は為されるべきだった。「パキスタン人」という言葉にパブロフの犬のように条件反射する極端なバカ女にしか見えない。平均的ないしは多少物を知らないタイプのアメリカ人の感覚としてはあれが普通なのだろうか。くだんの鞄の中身が実は赤ん坊だったという展開も、レイの心の中の国境が消えるシーンを作ろうという制作者側の意図が丸見えで、却って作為的にすぎる印象を与える。

モホーク族の「保留地」は、アメリカという国の中に更に引かれた境界であり、パトカーに追われたレイとライラ(ミスティ・アパーム)がそこに逃げ込むことからも、一種のアジール、法からの自由としての囲いという意味合いもあるが、実際にはそこに逃げ込んだからといって二人の危機が過ぎ去るわけではなかったのだし、モホーク族独自の掟がライラを裁き追放しようとする終盤のシーンのように、治外法権に見えた境界の内側は、単に別の法が支配しているのであり、モホークであるライラにとっても安住の場所という描き方はされていない。彼女の夫が、河に無理に入ろうとして死亡したという話は、境界を越えようとする行為は「追放」と紙一重であることを教える。

実際、死者であるライラの夫のみならず、生活費を賭け事に使ってレイに撃たれたというその夫もまた、言わば、家庭という囲いの中の掟を破った者として、ショットのフレームという「境界」から終始「追放」されているのだ。その一方、この夫が賭け事に興じていた筈のビンゴ会場でライラが働いていたことや、ボタンでトランクが開く車という、不法入国に不可欠の道具が媒介となってレイとライラの関係が構築されることなど、「追放」の理由となるものが二人を結びつけてもいる。

最後には、逮捕されたレイもまた画面から不在の身となるのだが、それはライラの追放という事態を避けることと引き換えのことである。そして、残されたライラとレイの家族は、一緒にショットに収まる間柄になるのだ。最初の出会いのシーンでレイが、激昂してライラのトレーラーハウスのドアに銃弾で風穴を開けるのも、「境界」を破壊する行為として、本作の主題系に連なるものだと言えるだろう。思えば、レイとライラの関係性は、狭い車内に同乗している者同士として、一緒にショットに収まることで描かれていたのだ。

(評価:★3)

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