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[コメント] アバター(2009/米)

映画で人類学、な「アメリカ」映画。 2009年12月26日劇場観賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まあ人類学とか堅苦しい言葉を並べて映画を見ても仕方がないけれど、序盤〜中盤にかけてはそれを意識せざるをえなかった。更にそれが政治的に利用される、というのも、特にアメリカの人類学(ルース・ベネディクトとか)に代表されるように事実としてあった話なわけだから、尚更意識せざるを得なかった。キャメロンがそこまで意識して描いたのかどうかは怪しいが、わざわざ彼らの信仰やらのシーンを盛り込んだりしている辺りは、少なからぬ意識はあったのだろうと思う。

あのメカが『エイリアン2』だったり、物語が『ナウシカ』ぽかったり。まあ色々仕掛けもあって、映像だけでなく物語的にも見ごたえはある映画だったように思う。その意味ではキャメロンがここまで「沈黙」してきたのも、まあ納得は出来る出来栄えだったと素直に思う。それぐらい、凄い映画なのは決して誤りでもないように思う。(3Dで見たわけではないので、「映像の凄さ」は多くを語れないのが残念だが、2Dで見ても存分にその映像は楽しめる作品だったとは思う)

ただ、結局、人間(白人)が「彼ら」(未開)に入って、白人による「破壊」に立ち向かう、という構図に始まり、「森」を利用したベトナム戦争的展開なんかで(ヘリが編隊飛行で行くところなんて、『地獄の黙示録』を思い出してワクワクしてしまう!)、結局勝利を勝ち取ってしまう辺り、良くも悪くも「アメリカ的」だな、だなんて思ってしまう。その意味では、ひねりの無い物語だったと言えなくもない。第一、逆視点(人間視点)で『スターシップ・トゥルーパーズ』という傑作が、既に何年も前に世に放たれてるわけで。これに対して「彼ら」の側が決起して戦う、ということは、これもまた沢山の映画が既にあるわけで。キャメロンが最終的にこの物語にどのような結論を与えるのか、少し楽しみで見ていたのだけれど、最終的に「武力には武力で」という結論であったことに、ある種の失望はあった。

また、「アバター」という存在に関しては、半身不随の主人公が「どちらが現実で夢なのか分からない」という風になる所に象徴されるように、ある種の「ヴァーチャル・リアリティ」を描いているのは間違いがない。(別にこの映画が「インターネット」に関する物語だという気は更々無いけれど。)この物語の場合、最終的に「精神」と「身体」は「神」によって結合されるわけだが、これに対して「肉体的」な軍隊が、最後までロボットから降りずに戦い続ける、という辺りにある種の対比を見ることも出来なくもない。我々にとって、科学とはもはや神に取って代わった一つの信仰の体系なのである。

「彼ら」は森を始めとして世界と呼応出来るが、人間は科学に象徴されるように、世界を道具的に利用しながらその文化を発展させてきている。従って、もし「我々」が「彼ら」と融和するためには、もはや精神のみならずその身体の同化が必要となる。酸素マスクに象徴されるように、人間は惑星パンドラでは生きていけないのだから。とすれば、この物語の結末として人間たちが引き揚げて行くシーンには、物語的な必然性はあるのだが、それを「物語的結末」として見てしまうのは、ここまで風呂敷を広げておいて、ちょっと腑に落ちない。それでは、「ベトナムに負けたアメリカ」のような構図にしか見えなくて、しかもそれを「アメリカ」が作っている、という現実がある種の厭らしさを醸し出す。ダジャレを敢えて言えば、キャメロンはパンドラの箱を開けて、蓋をすることが出来なくなったのではないのか、とさえ思えてくる。(あと、残った人間はどうやって生きていくんだろう?)勿論、「話し合って歩み寄る」のような説教じみたラストは期待もしないが、物語の壮大さに対してラストが意外と小奇麗にまとまり過ぎた感が否めない。

ま、単純に大爆撃の迫力に圧倒されて楽しかったので、別にどうだっていいんですけれども。

ああ、それから、ミシェル・ロドリゲスがいつも通りカッコ良すぎて堪らなかった。見事なまで派手に爆死してしまう辺りに、キャメロンの彼女への愛情を感じてならなかった。

(評価:★4)

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