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[コメント] (500)日のサマー(2009/米)

受け身的な態度の草食系男子が、恋愛をきっけかとして世界の「偶然性」を悟り、恋愛にも仕事にも能動的になる、という話・・あるいは2人が同じ世界に同時に存在していることと、2人がその世界をどう見ているか、は違う
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







主人公は彼女と出会えたことは「運命」(must be)であると思うが、彼女にとっては、それは「偶然」(coincident)であると思う。主人公は2人が同じ世界に同時に存在しているこが、同時に「運命」であるとも信じている。しかし、彼女にとって、主人公と同じ世界に同時に存在しているということは、単に「事実」でしかなく、それは「運命」ではなく「偶然」でしかない。

この2人の世界解釈の違いが、2人の気持ちのすれ違いとなっているのではないかと思う。主人公の気持ちが1人よがりに感じてしまうのも、「運命」という言葉の意味が2人の気持ちが通じ合っている、ということを前提にしているからではないか。

そして、「運命」とは排他的な概念である。「この人」ではなく「あの人」でなくてはならない。しかし、偶然を信じる彼女は、「誰も」が「あの人」になりうるし、全ての人があの人になりえない。彼女があっさり別の人と結婚するのも、偶然性を信じるからである(誰もが運命の人になりうる)

最後、主人公はこの世界が全て「偶然」であると思う。だからこそ、新しい面接の会社での「ライバル」の女の子に声をかけるのだ。2人は現在、そして過去に会っている。しかしそれは「運命」ではなく、同じ世界に存在しているだけである。その端的な「事実」を「必然」に変えるには、たまたま同時発生的に存在した2人が世界を共有するには、さらに能動的な働きかけが必要なのだ。

常に受け身的な態度の草食系男子が、恋愛をきっけかとして世界の「偶然性」を悟り、恋愛にも仕事にも能動的になる、という話のようにも見えました。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ぽんしゅう[*]

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