[コメント] NINE(2009/米)
ぺしゃんこグイドに浴びせられる叱咤激励というより叱責のような歌曲に、何やらこちらまでマゾヒスティックな快感をもよおす。なかでも妻(マリオン・コティヤール)の、外見の慎ましさと感情の激しさの狭間から噴出する心情の爆発ぶりは、男としてちょっと脅威。
「フェリーニの遊び心が」とか、「マストロヤンニの優柔ぶりが」とか、無いものねだりを言うのはとりあえず止めるとして、貫禄のジュディ・デンチやソフィア・ローレンからファギーやケイト・ハドソンの叱咤激励、そしてマリオン・コティヤールの貞節と淫靡な激情、そのほかの女優さんもふくめて、歌いっぷり踊りっぷりの見事さには大いに満足した。
残念だったのは、ダンスシーンのカットが細かく割られすぎ、舞踏の本来の魅力である生身の肉体の躍動がぶつ切り状態で、映画としての舞踏の見せ方がいささか作為的に過ぎたたこと。たとえば『ジーザス・クライスト・スーパースター』(73)や『ウエストサイド物語』(61)、古くは『雨に唄えば』(52)で踊り手たちが見せた感動的な身体能力の可能性と、肉体が描き出した美しさを思い出してみるとよい。
優れたアクション(活劇)シーンがそうであるように、踊り手の身体に対する無条件の信頼と敬意を余すところなく客観的に写し撮ろうとする覚悟が、活きたダンス(舞踏)シーンを生むのだ。被写体(踊り手)ではなく、カメラ(視覚)を優先したような人工的なショットで構成された作為的な編集は、ロブ・マーシャル監督が完全には踊り手(女優たち)の身体演技を信頼していない証拠のように見えてしまった。
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