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[コメント] ハート・ロッカー(2008/米)

『ハード・ロッカー』がタイトルかと勘違いするくらい、流れ来る音楽は激しく強かったが、観終えた心象風景としては、さみしく物悲しい<いっそ戦争映画>。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 観る前に、この映画に批判的な記事をどこかで読んでいた。詳しくは覚えていないが、批判的だったことだけが頭に残っていた。

 映画を観ながらは、この誠実な映画のどこに批難されるところがあるのだろう?と思っていた(あの批評はどこを批判していたのだろう?)。

 観終えて思うのは、いろいろな面で戦争のリアルさを感じさせるこの作品だが、ベースは<映画である>ことにこだわった作りだなと。主人公がこちらに背を向けて、画面の奥に向かって歩いて行くという、チャップリン以来の映画史的エンディングを用いるところにもそれは表れている。

 だからこそヒロイズムが成立する。普通のヒーロー映画と比べると、ささやかで、地に足のついたヒロイズムであるとは言える。だが、少年の遺体を偽装爆弾として利用した張本人を捕まえようと、基地の外に出、イラク人の住む街の奥深くへ入り込んでいく彼の<冒険>は、やはり誇張されたヒロイズムであるだろう。

 この、正義の意味をも自分の頭で考え、例えルールを逸脱しても、自分の意思で行動するヒロイズム自体は、個の自立を重んじる多くのアメリカ人に、好ましいものと映るのではないか。

 私自身は、このヒロイズムを好意的に受け止めた。戦場の殺伐さにも、軍隊の非人間性にも、彼の溌剌とした個性は押し潰されることなく、自分なりの正義感を貫き通してくれるキャラクターが嬉しかった。行動は失敗に終わり、映画としては地味なアクションしか産まなかったとしても、だ。

 だから終盤となるに従い、彼が精神の闊達さを失って、感情を押し殺し、内面の葛藤を心の奥底にしまい込むキャラクターになっていく(ように見えた)のは、悲しかった。

 例えば、彼が死んだと思っていたイラク人少年が、実は生きていたというエピソード。自分の正義感がいかに独り善がりで、何程のものでもなかったかを思い知らされるわけだが、それは滑稽でもある。この滑稽さを笑い飛ばすような描き方も映画として可能であると私は思うが、この作品は、そういう取り上げ方をしないのだ。

 ラスト・シーンでは、彼の除隊日まで「あと365日」と字幕が出る。いつ終わるともしれない戦場に、再び彼は放り込まれた。前回彼はたまたま生き延びたが、今回も生き延びるかどうかわからない。否、こんなことをいつまでも繰り返せば、いずれ必ず彼も消耗品のように使い捨てられ、次の者にとって代わられるだろう。そんなペシミズムに満ちたエンディングだ。

 今も続く戦争を描くのに、安直な希望を持たせる終わり方にした方が、かえって不誠実である。作り手側のそんな意図は伝わる。だがこの作為的な(=物語の着地点として描かれる)悲観主義は、一部のアメリカ人は受け付けないだろう、と思った。

85/100(10/07/19記)

(評価:★4)

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