[コメント] 機動戦士ガンダムUC episode1 ユニコーンの日(2010/日)
これまでのガンダムを継承しつつも、敢えて富野由悠季作品よりステップを重ねる演出。核爆発は安易には起きないが、起きてしまえば火中の人間を無言の元に蒸発せしめる悪鬼の炎となる。21世紀のアナログはこのようにリアリティを増大させつつも、我らにとって至宝だったドラマの完璧なる僕として作用する。画面のトリビアリズムはアイキャッチとして作用し、同時に骨太な物語の武器として扱われる。
かつて『機動戦士ガンダム』に於いて安彦良和が語った、敢えてフルアニメーションよりリミテッドアニメをとり、その中で叶えようとした「物語るアニメ映画」の理想は、まだ序章のうちにある「可能性の獣」の物語の中で確実に成長を遂げているのを窺いうる。この作品は富野の、安彦の申し子であるのだ。彼らにとってはガンダムの亡霊を引き摺る鬼子であるかも知れないが、既に親の庇護から離れた獣は牙を剥き、猛り狂う成獣となっている。そこには我らが受け継ぐべき明確なヴィジョンが確実に形を成している。「いま一度問う、君は生き延びることが出来るか?」の惹句は、敢えて宇宙世紀の歴史を受け継ぎながら富野と決別する我らの世代の共通認識がある。
思えば、絶望のなかのあえかな希望の象徴として第一作のニュータイプ少年たちは在った。少年たちは若き日のみにこそ発露し得る力をもって「奇跡」を起こし、戦争に終止符を打った。しかし、商業的理由で「ガンダム」はシリーズ化を余儀なくされ、続編に於いて希望たるべき少年たちは、あるものは発狂しあるものは無残な死を遂げた。それは富野監督の疲弊と荒みをそのまま刻み込むように「ガンダム」の宇宙世紀世界を無情で乾いた世界へと変えていった。今、新たなスタッフ…『機動戦士ガンダム』の最終回に深い安堵と感動を受け取った若きクリエイターたちの手によって、ガンダムの少年たちは全幅に人を理解し、信ずることのできる新たな希望の象徴として蘇生できた。これは素直に喜ぶべきことである。富野の絶望してしまった若い力は、この作品の中で確かに形を変えて生き続け、希望を繋いでいる。
祭りは成った。我らの親殺しを行なった血塗られた手で、未来は拓かれた。ここにある物語は我々の狼煙だ。これを享受する世代にあることに、改めて感謝を述べておきたい。
(付記)'10/3/12をもって一応の劇場公開は終わり、現在は入手したDVDを眺め直しているのだが、やはりDVDやブルーレイで鑑賞された皆さんも、機会を見つけて大画面でこの作品を充分に味わって欲しい。この画は大画面でこそ真価を発揮する厚みを持ったものであり、音楽も然りだ。思えばガンダム誕生より30年の時は流れ、無数の追随作が産声を上げたが、これを21世紀のニュー・スタンダードとすることに賛成してくれる方は決して少ないとは思えない。エピソード2が劇場に掛かったならば何を置いても足を運ぶつもりだ。それだけの価値はあると断言する。
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