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[コメント] シャイアン(1964/米)

確かにこれは贖罪の意識を持って撮られた映画なのだろう。そのフォードの誠実さを疑いこそしないが、それがために活劇としての面白さが不徹底なものになってしまったのだろうし、またその贖罪がどこまで「通用」するものなのかも分からない。それでもこれはフォードらしい美しさに溢れた映画だ。
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**ネタバレ注意**
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黒板の“Will you marry me?”や、キャロル・ベイカーあるいはリチャード・ウィドマークと先住民の少女との間で交わされる“G.O.O.D…GOOD”“T.R.A.I.N…TRAIN”“H.O.M.E…HOME”。この「言葉」「コミュニケーション」をめぐる演出の繊細さ。ウィドマークがその“Will you marry me?”の「返事」を見るシーン、この教室に差し込む光の荘厳さはどうだ。モニュメント・バレーや雪などの風景はもちろん、たとえば中盤の戦闘シーンで巻き起こる煙の過剰なまでの「黒さ」もまた圧倒的な力で私たちに迫ってくる。またエドワード・G・ロビンソンがリンカーンの肖像写真に話しかけるショットでは写真の額にロビンソンの姿が映り込んでいる。どうしてここで『プリースト判事』を思い出さずにいられようか。フォードが描き出す画面の美に衰えは見られない。

ダッジ・シティのシークェンスはその喜劇的な演出からしても幕間狂言的に挿入されたものと見るべきなのだろうが、カウボーイが先住民の頭の皮を剥ぐシーンも含めて、焦点は「白人の醜さ」に当てられている。ジェームズ・スチュアート演じるワイアット・アープは噂に違わぬ早撃ちの名手として描かれてはいるが、彼の内に人格的な高潔さを見出すのは難しい。このシークェンスは確かに失敗している。それは喜劇的な演出のためにここが映画全体から浮いているからであり、挙句それにもかかわらず笑うに笑えないからなのだが、その「笑うに笑えない」ことにこそこの映画に対するフォードの姿勢の一貫性が顕れて「しまって」いるように思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] ぽんしゅう[*]

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