[コメント] 兄いもうと(1936/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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一時間の中編映画で、この尺を生かし切っている。兄妹が二度喧嘩してお互い行き場がなくなってしまうのだが、ここでハードボイルドに終わらせるのが、絶妙な味と余韻がある。後半を付け足したらいかにも平凡になっただろう。
それでも時間が余ったか、序盤に堤防工事が詳細に描かれるのだか、ここもいい。いろいろあるけど小杉義男は今日も行く、という颯爽たるラストとともに、「最後の傾向映画監督」の主張はここにあったのだろうと思われる(この「ああいう気性の」親方、成瀬の再映画化では屈折した水氷屋の主人にさせられていて、時代の変遷に対する水木の批評が判る)。
登場するのはなんとまあぎこちない面々だろう。殴り合いは戦前の小津映画でもよく現れて驚かされるが、。そういう時代だったのだ。竹久千恵子の淪落及び周囲の対応(「箸にも棒にもかからない女になっちまった」「お前もたいへんな女におなりだねえ」)にも時代の残酷が記録されている。謝罪にあたって「自分だけの良心の償いにしたい」「謝ってさっぱりした気持ちになりたい」などと云ってしまう大川平八郎の子供っぽさがひどく印象的。もんが孤立しないように俺が悪者になったんだ、という丸山定夫の造形がいまひとつ説得力を欠くのが惜しい。しかし、最後にひとりで茶漬け喰いながら涙を見せるのにはほろっとさせられる。俳優はみな上手い。
撮影もよくて、姉妹が帰省する田園を捉えた移動ショットなど惚れ惚れする。ただ、喧嘩する畳の間の空間処理は成瀬作品に及ばない。音楽は邪魔。
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