[コメント] メーヌ・オセアン(1985/仏)
計算されたスラップスティックなどというものは偽物だ、と断ずる人々もいるようだが、物語が収束を嫌ってただただ拡散を続ける本作は、トリビアリズムと即興性の狭間で、かろうじて存在を知覚される芯のないドタバタの連続であり、自慰的ですらある。そうした有象無象のジャム・セッションが見せる祝祭性の見事さで、凡作の汚名から逃れてはいるが。
(水那岐)
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