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[コメント] 十三人の刺客(2010/日)

「長さ」の妙。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







殺戮の画面を前に人がある種のカタルシスを感じて酔えるのは、それがエモーションの高まりを伴ってスタートしてからせいぜい20分なのだ(根拠のある数字ではないのだが、何となく経験上。1作の中の合計数値ではなく、連続的に提示された場合)。これが殺戮シーンが常識に比して優に30分(!)長いことによって次第にカタルシスを感じなくなり、テーマが別のところにあるのではないかと思うようになる。すると、この画面が無常的な画に見え始め、終盤に島田(役所)が並べ立てるブシドー・ヒロイズムも御託的でどこか薄っぺらく殺戮の方便的な白々しさを帯び、暴君の残虐も等価に見えてくる。更に「大願成就後」の虚脱した静寂の長さ。快哉を叫ぶでもなくただ呆然とさまよった果てに山田孝之がただ見せる複雑な笑み(山田孝之はクレバーな俳優だ)。これを一瞬でカットして余韻を残す技巧の妙。

これは映画における「長さ」の魔術だと思う。意図されたものか知らないが、血を好む三池作品としては、暴力描写を極限的に極めた上で常識を越えた長時間に渡り提示することがかえって変化球的に作用して、暴力のカタルシスを相対化するという深みを感じさせる作品になっている・・・つまり、『時計仕掛けのオレンジ』でアレックスが処方される、あの「治療」に使われるべき「反語的暴力反対」映画に昇華したのだ。さんざん煽っておいてからあの戦闘シークエンスが20分なら、ただのきれいごとの勧善懲悪映画という印象で終わり、かえって「吐き気」を催したに違いないのである。

まあブシドー・ヒロイズムが嫌いな私の個人的印象なんだけど。山田孝之をはじめ、魔の退屈に死への希求を滲ませる稲垣吾郎の現代性はもちろん、鋼で断ち切る重みを感じさせる松方弘樹の芸術的殺陣など深読みせずに賞賛すべき点も多数。吾郎ちゃん、そういうあなたをずっと待っていました。『七人の侍』を敢えてなぞるキャラ造形も神話を相対化するような批判精神が見えてニクい計らい。よくやった。良かったよ〜。

(評価:★5)

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