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[コメント] ゲゲゲの女房(2010/日)

漫画家は、まだあの水木しげるなどではなく、その妻も戦後のある時期を生きるただの無名者として描かれる。二人は、あの時代の誰でもない者、すなわちすべての者たちなのだ。鈴木卓爾たむらまさきの視線は、そんな彼らを慈しむように注がれる。
ぽんしゅう

新婚夫婦の家の外では、発展と上昇を象徴するかのように常に槌を打つ音が鳴り響いている。彼らはその音が意味するものや、やがて、その音が彼らにもたらすであろう変化になど気づくことなく、急激に上昇してゆく時代の最後尾に乗り遅れそうになりながらも、柱時計のネジだけは巻き忘れることなく、黙々と、そして淡々と日常という時間を前に進めるのだ。

そんな夫婦の姿は、ノスタルジーに浸るでもなく、ことさら貧困を嘆き同情を喚起することもなく、まして苦労譚を必要以上に賛美などせず、ただ過ぎ行く日常として描かれる。それは、ひとえに鈴木卓爾監督の作劇上の関心が、貧困をめぐる出来事といった事象にあるのではなく、たまたま貧困という状況を生きることになった人間そのものに向けられているということの証しだ。

鈴木卓爾は、日本映画界に久々に登場した、物語の起伏やキャラクターの強弱ではなく、人の息づかいや一挙一動で映画を形作ろうとする演出家だ。前作『私は猫ストーカー』(09)で鈴木が垣間見せた非凡が見事に「カタチ」として開花した記念すべき一作である。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)ゑぎ[*] 赤い戦車[*] 煽尼采 3819695[*] uyo

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