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[コメント] あにいもうと(1953/日)

バスの運ぶ物語。成瀬巳喜男の映画はどの作品も唸るような繊細な考え抜かれたカッティングが氾濫しているけれども、そんな中でも「驚き」に満ちたキャッチーなカッティングを次々に繰り出す作品がある。例えば『おかあさん』なんかが典型だと思うが、本作も『おかあさん』と同レベルの傑作だ。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 『おかあさん』と同じように家族の構成員の名称をひらがな綴りでタイトルに持つ、本作の繋ぎもあちらこちらで目に留まる。例えば異なる時空の人物の同種のアクションを繋いでいる部分−浦辺粂子が家の前に水を撒くカットに繋げてバス通りで女が道に水をまく−だとか、登場人物と観客の感情を操作する繋ぎ−うどん屋の本間文子が浦辺のことを悪く言うカットに繋いで浦辺が蠅タタキで蠅を叩く−だとか。

 そして、本作のキャッチーな繋ぎで真に驚愕してしまうのがラスト近くの灯籠流しのシーンだ。堀雄二久我美子を見止めたカットに続いて、手を振る久我のバストショットを繋ぐカッティング!潔いといえば余りに潔い、同時に、観客に一瞬フラッシュバックかと思わせておいて堀雄二の感情を久我美子の感情を観客の感情をも突き放してしまうという複雑なカッティング。こんなカッティングは世界映画史上でも類を見ないのではないかと思ってしまう。

 この驚愕のカッティングの後、ラストの京マチ子と久我が歩くシーンとなり、京が「あんなやつでも、兄さんの顔を見たくなることもある」と云う。これも画面繋ぎではないが、観客にとってはこのような台詞が繋がれる(繰り出される)とは夢にも思っていない訳で、矢張り成瀬らしい考え抜かれた「驚き」を与える「繋ぎ」であると云えるだろう。そして同時にこの台詞は「映画の感情」の落としどころとして見事に機能している。

#良いカットも無数にあるが、一つだけ上げるとするなら、矢張り、京マチ子がうつ伏せで寝そべり久我と会話するカットが絶品。画面奥に京マチ子のふくらはぎが見える。手には女優(高峰三枝子?)らしい絵のある団扇。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)irodori 煽尼采[*] 3819695[*]

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