[コメント] 海炭市叙景(2010/日)
生きる喜びを追求することは茫漠たる永遠の願望であり、悲しみこそが逃れようのない人の営みの本質なのだろう。だから我々は海炭市の人々の生き難さに共感し、彼らの悲しみを美しいとすら感じるのだ。北の地の、年の瀬の、市井の叙景に生きることの切なさをみた。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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最後のシークエンスが象徴的だ。ショベルカーが土を掘り返しダンプカーが行き交う再開発地区。とり残されたあばら屋で老婆(中里あき)は、まだ淡い陽だまりのなか、子供を孕んで戻ってきた愛猫の腹をなでながら「元気な子を生め」と確信を込めて力強くうながす。
一度死に再び再生される土地。引き際を逃した亡霊のような危ういあばら屋。そんな外界の変貌など意に介さず雪解けの陽春に居座る老婆。自らの居場所にようやく戻った猫は、この世に新たな生命を産み落としながら、今度は帰るべき場所を失くしてしまうのだろう。壊れゆくものと、生まれ出るものの混沌。喜びを求めつつ悲しみから抜けだせず、悲しみから逃れるために次の幸福を探して、崩壊と再生の混沌を生きること。これこそが人の営みなの本質なのだ。そんなことを考えた。
年の瀬から新年(これもまた終焉と新生だ)にかけての高揚。そんな、年に一度の日常のなかの非日常的な時空を切り取りながら、プロの役者と地元の生活者たちが織り成すリアルな叙景。宇治田隆史脚本の巧みな語り口と、熊切和嘉の節度を崩さぬ演出が生んだ「虚」と「実」の絶妙なバランスを堪能した。
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