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[コメント] ソーシャル・ネットワーク(2010/米)

世界は夜と曇天に覆われ、照明は主演者の眼窩に影を落として人格を示唆する。マシンガン・トークも『赤ちゃん教育』〜エディ・マーフィの伝統的文脈から距離を置いて「笑い」を求めず、「成功」はたかだかサイトのアクセス/登録者数・会社の評価額・株式の保有率といった「数字」でしか表わされない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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要するに、これは初めから成功物語としては撮られていない。ゆえに没落もまたありえない。デヴィッド・フィンチャージェシー・アイゼンバーグをはじめとした作中人物を誰ひとり批判しない代わりに、やはり誰ひとりとして愛さない。映画は驚異的な速度と緊張感と圧力を誇るが、その体温は一貫して低い。アーロン・ソーキンのシナリオは必ずしもそうではないのかもしれない。しかしそれがフィンチャーの選択したスタイルだ。アイゼンバーグがルーニー・マーラを“bitch”呼ばわりすることから映画は始まり、そのビッチは不特定多数を対象とするまでに拡大されてゆく(名刺の“I'm a CEO, bitch”)。天才はもはや自らの疾走を、自らが始動させたシステムを、自らの力では止めることができない。そしてそれは「成功」ですらないという。映画は、ただ、アイゼンバーグのすべての動機がマーラへの執着に端を発するものであるかのような落ちをつけて終える。私たちはこうして天才を「物語」として消費する。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (14 人)ハム[*] disjunctive[*] 煽尼采 甘崎庵[*] けにろん[*] 緑雨[*] Orpheus 靴下 ぽんしゅう[*] Keita[*] のこのこ セント[*] 赤い戦車[*] McCammon

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