[コメント] 冷たい熱帯魚(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「神の不在」。
遠藤周作以来のテーマを現代日本の実話(どこまで盛ってるか知らないけど)に乗せ、『CURE』の萩原聖人よろしく他者の本性を引き剥いて「継承」する様にマーラーの「巨人」を被せるあざとさ。いや、マーラーは笑いました。『愛のむきだし』の「ボレロ」「オルガン付き」「ベートーベン7番」の三連投も笑いましたが。
最近流行かついい加減食傷気味の「悪の伝道師による暴力拡散」のお話ではありますが、結局その異常なテンションと、偶然の産物ではない演出力には乗せられざるを得ません。しかし「お父さんごめんなさい」は必要なのかどうなのか。
地球は岩の塊だ、人間などただの肉と骨、物質に過ぎない、他人も己も死ねば透明になるだけだ、殺すんじゃない透明にしてやるだけなんだ、とにこやかに、時に罵声を以て語る村田と愛子には「神殺し」などという「高尚」な潜在的目的などなく、端から殺すべき対象である神など「視えていない」。彼らに「神をも恐れぬ」という表現は使えない。山小屋に十字架とマリア像はあっても、いくら視界に飛び込んでこようとも「神はいない」からだ。「いない神」を「恐れることはできない」・・・って話では終わらせないわけね。それって「正解」?
「お父さん、ごめんなさい」
結局「巨人」たりえず迷える子羊だったでんでんと吹越満、「巨人」の幻想にすがる黒沢あすか。これは最終的に「神の勝利」を提示している。何だ結局そこだったのか、ジョーカーや役所広司くらい頑張れよ、と血の二日酔いの内に鼻白む方もいらっしゃるだろうし、一方神様恐ろしい神様万歳でもいいのだけれども、映画として提示されるものとしてはいささかわかりやす過ぎる。実話ならテーマをあからさまに提示しないことが正解ではなかったか。この血の海は「映画」としての底の浅さを覆い隠すものではないか?
意味ありげで下品なおもちゃをバラバラッと雑然と並べて「はいどうぞ」といういい加減さと破綻が神がかり的化学反応に作用した『愛のむきだし』と比べると、テーマが見えすぎでちょっとつまらない。つまらないとか面白いとか表現していい内容のお話ではありませんが。
・・・って実話だから仕方ないのか・・・っていうか、どこまで盛ってるんだ?
ところで、「神をも恐れぬ」表現を貫徹した園子温にはやはり神が「視える」のだろう。それがどのような神であるにしろ、この「罰当たり」な映画を平然と撮る彼は、むしろ極めて「健康」である、とこの際誤解を恐れずに評価しておきたい。あと、村田の断末魔「いた、ちょ、ちょと、いたい」や、事務所で本性を現すシークエンスの「磁場転換」には「うわ、怖え」と心底震えました。この面白さは映画にしか出来ない。だからこその4点。
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