[コメント] アレクサンドリア(2009/スペイン)
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ヒロインはたぶん、ここに描かれた完璧な学問の徒である美女、という姿で生きてはこなかったのだろうし、他の人物のデフォルメ具合も似たり寄ったりだろう。しかし、片方に『ベン・ハー』なる宗教啓蒙大作がある限り、いずれは描かれるべきだった宗教暗部の執拗な描写だ。
その価値を支えているのは人間描写の巧みなテクニックである。それゆえおのれの学問欲に生きるヒロインをめぐり、権勢を誇る名家の御曹司と、ヒロインへの密かな愛情を押し殺す奴隷青年の恋愛模様から、やがて彼らをめぐる時代の急激な変容によりある者は力を失い、ある者は権力を得て、いずれもヒロインに対する意識を大幅に変えられつつも愛情を持ち続ける…その中心に学問バカであり続けるヒロインがあり続けるといういい意味で俗流な恋愛劇が繰り広げられ、見るものを飽きさせない。
だが、一貫して宗教的なことにはノータッチだったヒロインも、浮世離れした楽観主義に漬かり続けるわけにはいかなかった。キリスト教会は古代神殿を破壊し、ユダヤ教徒を追い出して、なおもひっそりと暮らす女性教師を「女は男の上に立つべからず」という古典的モラルに抵触していることで抹殺する。このあたりで物語はショッキングになる。ヒロインの殺害は日常的ルールをもとに実行され、それからの救いとして帝国の要人となった弟子は宗教への入信を願うが、ヒロインは拒絶する。それは彼女のもっとも愛する学問を棄てることだったからであり、そして彼女を愛した元奴隷は元主人を安楽死させ、石打ちの刑の痛みから救う、という一件で物語は幕を閉じる。
この21世紀の逆『ベン・ハー』においては、救いは訪れず、主人の幸福を奪った仇敵は勝利を得続け、昨日の弟子が教師に望まざる要求を突きつけるという悲劇が描かれる。その直接の下手人となるのは迷走、暴走する腐敗したキリスト教だが、往々にして権力を得た団体は同じルートを辿って腐臭を撒き散らすものだ。アメナーバル自身もそのあたりは充分心得ていることだろう。ローマ帝国の衰亡とともに世界一の科学先進国となったイスラム諸国は、やがて知識よりもコーランを選び自らトップの座を降りる。
普遍的な悪は、その時々の権勢を誇る団体にある。いつでも、どこでも。だから現在に満足してはならない。そんな当然のことを今更にも気づかせてくれる物語だ。
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