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[コメント] 阪急電車 片道15分の奇跡(2011/日)

ローカル線を軸に据えることで、取るに足らない瑣末な事象を日常のわだかまりという生活者の普遍へと持ち上げ、さらに、その小市民的悩みを巧みに操り、よい意味ではぐらかし、最も身近な、つまりは馴染み易いカタルシスへと導く極めて高度な現代版「勧善懲悪」物語。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







子犬が飼いたいという無邪気なおねだりに始まり、登場人物が抱える悩みはどれもささいだが切実でもある。互いに気づかうふりをする姑と嫁の空疎。婚約者の裏切りとプライドをかけた復讐。理想と現実の境界を見失わせる恋人の暴力。憧れの進路と実力と家庭の事情。「おつきあい」という名の同調圧力。周囲とのギャップと自分らしさという呪縛。そして、いじめ。

登場人物が抱える悩みはどれも身近で下世話な人生相談レベルの話だ。だからこそ、劇中、翔子(中谷美紀)のナレーションで語られる「死ぬほどつらいわけではないが、あきらめるしかしかたのない、どうにもならない思い・・・」であり、日々暮らす者たち(すなわち我々観客)にとって、指に刺さった小さな棘のようにちくちくといつまでも痛む気の重い悩みなのだ。

そんな悩ましいわだかまりが、もの分りの良い幼女(芦田愛菜)と、毅然たる老女(宮本信子)の道理と倫理に導かれ巧みに晴らされていく。老女が発した「後悔しない強さ」は一本の糸となって、翔子を経て小学生の少女へと伸びてゆく。老女が発した「捨て去る強さ」の意味に気づき、友たちに救いを求めた女子大生(戸田恵香)は、おばさん(南果歩)に救いの手を差しのべる。そして(実は本筋の展開とは関係なしに)、カップルたちは夢のような理想的な「思いやり」に守られ、互いに「自然体で認め合う」喜びに浸る。

老女に端を発した善意のコミュニケーションは、まるで魔法のように彼らを悪意から解放し、じんわりと物語のなかを浸透し、いつしか蔓延していた悩みは消え去ってしまう。どこまでも優しい善が、ささいだが厄介で悩ましい悪を退治してしまうのだ。これは、娯楽映画の王道であり、しかも今風に巧みにアレンジされた勧善懲悪物語なのだ。そして、観客もまた登場人物とともに、しばし悩ましい日常から少しだけ飛翔した気分に浸り、いつか必ず訪れるはずの幸福を夢想するのだ。

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ここからは、私的な余談です。

この映画の舞台となった町で私は生まれ、育ちました。高校と大学浪人時代合わせて4年間、ほぼ毎日、この阪急今津線を利用していました。この一帯は阪神淡路大震災の被災地の東の端にあたり、私の記憶のなかの風景はことごとく破壊されてしまいました。映画のなかでときおり俯瞰されるマンションに囲まれた沿線の街並みは、私にとってはまるで別世界です。それでも、車窓から見える逆瀬川(さかせがわ)や仁川(にがわ)といった六甲山系から流れ出る小さな川筋や、林の切れ目からぽっかり姿を現す弁天池、見る方角によって形が変わる甲山(かぶとやま)といった自然の景観は昔のままです。駅舎もすっかり変わってしまっていますが、映画のなかで重要な役割をはたす小林(おばやし)駅のローカルなたたずまいが、昔のなごりを残していて郷愁に思わず目頭が・・・。

もちろん、私にはこの映画のような奇跡の交流や出来事は起こりませんでした。でも宝塚から西宮北口まで、8つの駅すべてに思い出があります。それは、何気ない日常のなかの、どうということのない一編一編の出来事の羅列でしかありません。それでも、多感な時期に接した音楽や言葉が、人の思考や行動に影響を与えるように、過ごした場所や風景もまた生き方を多少なりとも左右するものです。その「多少なり」が、いったいどれほどのものなのかは、あれからずいぶん歳月を費やしたのに今もって分りませんが。

(評価:★3)

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