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[コメント] ブラック・スワン(2010/米)

何とまあ理路整然とした映画だろう。不可解な箇所、すなわち想像力の跳躍、つまり驚きはただのひとつもない。思いきり不遜に云えば、「鏡」の演出にしても「爪」や「皮膚」など身体的細部に偏執した演出にしても、すべて私のような素人でも思いつくものだ。ほとんど幼稚なまでに行儀のよい親切設計映画。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







不安定な揺れを伴いながら被写体(ナタリー・ポートマン)をストーカー的に執拗に追い回すカメラ、そしてミザンセヌの審美性には無関心を装った窮屈な構図は、閉塞・不安・混乱、一言で云えば精神の袋小路を描く。鏡は意識の分裂を表象し、ミラ・クニスバーバラ・ハーシーウィノナ・ライダーはそれぞれ異なった角度からポートマンの「鏡像」として配置される。身体的細部の拡大と凝視がもたらすグロテスクネスはプロフェッショナルのダンサーにふさわしいナイーヴな身体意識と、それを反転させた自己疎外の感覚(身体が自分の所有物とは思えない感覚)を要領よく表現する。

その他にも、色彩を排除したロー・キイ・ライティングによる「黒-白」対照の主題化と「赤(血液)」の特権化などなど、映画を「読む」ことの初歩を学ぶには(その難易度も含めて)お誂え向きの教材かもしれないが、残念ながら私は映画を「読む」ことに対しての関心をとうに失った観客である。それは映画にとって「面白さ」の核心ではないからだ。しかしながら、私がこの映画に批判的であるかというとそうでもない。確かに才能豊かな監督であればこの程度の出来の作品は容易く撮れるのかもしれないが、真面目さだけが取柄の人のみ持ちうるような切羽詰まった迫力、ぎりぎりいっぱいに追い詰めて最後の一滴まで搾り出した成果物のような迫力がこの映画にはある。実際アロノフスキーの撮り方はポートマンおよび彼女が演じるキャラクタ以上に真面目だ。ギャグに接近したショック演出の在り方までも真面目。前作までを見る限りではもっと「ふざけ」を解した人かと思っていたけれど、『レスラー』から引き続く「自分を追い詰めた挙句に散ってゆく」人物への執着を見ても、案外ただ真面目なだけの人という気もする。ニナ・セイヤーズはポートマンの性質が投影されたキャラクタである以前に、まずアロノフスキーの分身なのかもしれない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)Orpheus 山ちゃん[*] ぽんしゅう[*] ぱーこ[*] けにろん[*] kazooJTR[*] セント[*] 水那岐[*]

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