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[コメント] イップ・マン 葉問(2010/香港)

失われゆく魂、その激動の歴史
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







成功した前作と同じ布陣に加え、アクション監督サモ・ハン・キンポーが満を持して演者として登板となれば、これは面白いに決まっている。

物語は黒澤明の『續姿三四郎』に近い。前回は空手という日本の武術が相手、闘いは当然何でもありのノールール。今回の敵は武術とは異なる格闘競技、拳闘である。ラストの試合開始前、リング上での振る舞い方を知らぬイップ・マンに観客の西洋人が失笑する場面が印象的だった。方形のリング、ラウンド制、勝手なルール変更。終始、西洋人の決めた様式の中で行われる異種格闘技戦。これはこれで、純粋なる果し合いとは違った文明的な興奮がある。新聞やラジオといったマスメディアが登場し、「この闘いをどう見るか」という様々なアングルが大衆に示される。

オレは重症のプヲタであり格闘技ファンなので、このように純粋な武術家が「文明の中の大衆娯楽としての格闘技」のリングに上がる/上げさせられるというモチーフに激しく興奮するものである。それはあたかも密林の王キング・コングをニューヨークに連れてきて見世物にするような、チョコレートをエサにしてハリマオを矢吹丈にぶつけるみたいな、オイオイこんなこと許されるのか? といった強烈な「バチあたり」感覚に痺れちゃうからである。真っ白なキャンバスを汚してしまうような、背徳的な興奮がある。ガチの世界からショウビズにやってきた木村政彦やウィリアム・ルスカの没落… こんな贅沢な見物はないぜヒャッハー! と、まあ現代文明の腐りきったゲスな観客像の一例としてのわたくしであります。どうぞケーベツしてください。

サモハンとイップ・マンの邂逅、対立の果てに生まれる奇妙な共感は最高に美しいだけでなく、どこかノスタルジックな気分にさせられる。この死ぬほどステキな関係は、劇中では消えさってゆく純粋な男達の失われてゆく美徳として、哀惜をもって描かれている。つまり

イップ・マンとサモハン

サモハンとボクサー

イップ・マンとボクサー

この3つの対立をもって、この映画は近代から現代へかけて失われゆく魂、その激動の歴史を描いているのである。

映画のラスト、まだ少年の李小龍がイップ・マンを訪ねてくる。サービスとしても嬉しいワンシーンだが、ここで物語は完全に我々の生きる現代へと接続されるのだ。ブルース・リーは映画という現代メディアによって世界を本当に変革してしまった、現代史における最大の武術家であり革命家である。だからあの場面は単なるサービス以上にオレには嬉しかったし、近代から現代を生きたイップ・マン一代記の締めくくりとして相応しいと思ったよ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)まー ハム アブサン

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