[コメント] 一枚のハガキ(2011/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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役者が贅沢。大竹しのぶがやり過ぎの感はあるが、新藤兼人の真っ向勝負に向かうにはいくらやってもやり過ぎはない.役者の表情を正面から見据えた画面がすばらしい。
私の父は終戦時43才だった.生きていれば新藤兼人より6才年長である.小男だった父は、終戦近くになって兵隊検査を受けたが丙種合格だった.甲乙丙丁の丙である。これではお国のために十分役立つ事はできないので、内地の工場技師になって終戦を迎えた.戦時中は小さな町工場を持っていたが、疎開先から帰って来るとそれは人のものになっていた.父は自分の所有権を主張する事なく、都内を間借りして延々と引っ越していた.私の少年期は八畳一間に一家7人が住んでいたのである。晩年は小さな電気屋の用務員をして酒を飲み肝硬変で死んだ。母から聞くと戦前はずいぶんと羽振りの良い暮らしをしていたようなのだ。私は長い間、そのことが謎だった。いくらでも上手く立ち回ればもっと楽な暮らしができたはずなのに、なぜいっさいの権利を自分から放棄して貧乏暮らしに入ったのか。
この映画を見て、なるほどと思い至った。「戦争をのろってのたれ死にしてやるんだ」と大竹しのぶは叫んでいたではないか。40過ぎての徴用がつらいものなのはこの作品の主人公と同じである.おそらく同年代の知人友人は外地で死んだのだ.丙種合格で肩身の狭かった上に、おめおめと生き恥をさらして我欲に走る事ができようか。多分父はそう思っていたのではないか。その父の後ろ姿をみて育った私もまたうまく立ち回れば、いくらでも上手い汁が吸えたはずなのに、自分にいい話が来るとこれは自分に向いていない、と断って来た。バカだなあと自分でも思いながら.すでに定年をすぎて4年目に入るのに、相変わらず蟻のように地面に這いずり回って仕事漬けである。移行期間の年金も現金収入があるので半額以上返している。ワーカーホリックなどと揶揄されているが、私には他に生きようがない。映画では一粒の麦をまいて戦争は終わったようだが、私の戦争は終わらないのである.我々の世代は軍歌を一通り歌える世代である.戦争をのろうほど、戦争を知らない世代だが、のたれ死には本望である.新藤兼人の真っ向勝負が私にそういう感想をもたらした。名作である.
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