[コメント] 監督失格(2011/日)
平野と由美香。防備と防備、無防備と防備、防備と無防備。そして無防備と無防備。カメラや化粧、エゴ、立場といった鎧をせめぎあいの果てに突破する瞬間、世界の色が鮮やかに変わるのだ。悪声と小汚い画面の、色が変わるのだ。シームレスに。有り体に言うと、世界がピンク色に染まるのだ。小汚いままで。そして喪失の反転と再生と。これが恋だと言われたら、しょうがない。しょうがない。
「その瞬間」を、モロに捉えている。「捉えようとした」のか、「捉えてしまった」のか。「捉えたくないのに必死で捉えたのか」。「捉えたくて捉えたくて夢見心地で捉えたのか」。「監督」としての資質を問われる重要な境界は曖昧だ。失格者たる故に、制御しきれない死にものぐるいな感情の揺れ動きのひだが、カメラを通して向ける視線に完全に同期されてしまう生々しさ。(あるいは、「捉えることができたのに捉えなかった」という事態も重要だろう)。
その時カメラはカメラでなく、本来の「視線」そのものに立ち返る。そのむき身の同期(要は「すっぴんの視線」だ)に立ち会うとき、その生々しさに狼狽する。「うわっ、恋ってこういうもんだよな」と思った。完全に恋する者の視線だ。
そして「喪失」がもたらす「禁断症状」。生(なま)な「北海道・自分探し」の青臭さ、みっともなさのリアル。いや、みっともないなんて言えないだろう。ゴタク以前に、これが恋だといわれたら、しょうがない。
恋は小汚いピンク色なのだ。しょうがない。
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