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[コメント] 未来を生きる君たちへ(2010/デンマーク=スウェーデン)

作り手の良心は疑わないにしても、『ミスティック・リバー』や『ヒストリー・オブ・バイオレンス』を産み落とした現代アメリカ映画と比べれば甘々だ。この種の題材を扱うキリスト教圏の映画において、「神」についての議論が見当たらない(少なくとも前面には躍り出ない)というのは珍しいかもしれない。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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何が甘々なのか。撮影の方面からは「高速ズーミングの濫用」の一点を指摘すれば事足りるだろう。ことあるごとに被写体に寄る無神経なカメラの操作はエモーションの捏造を図ったものだろうが、自らが築き上げた映画のムードを壊すものでしかない。

さて、これが「赦すこと」について追究した映画だとするならば、やはり甘い。ミカエル・パーシュブラントトリーヌ・ディルホムの夫妻は、どうして息子マルクス・リゴードを爆死させかけたウィリアム・ヨンク・ニルセンを赦せたのか。結局のところリゴードの命が助かった(障害すら残っていないようだ)からではないか。「リゴードの命が失われてもなお夫妻はニルセンを赦せるのか、それともやはり赦せないのか」というところまで突き詰めていない限り、私にはこれが「赦すこと」の映画と云うに違和感を覚える。

それではもうひとつのテーマのように見える「暴力は暴力を呼ぶ」についてはどうだろう。リゴードが「自動車の爆破」を頂点とするニルセンの暴力的行動に同調するのは、「父が受けた暴力の仕返しをしたいから」というよりも「ニルセンとの友人関係を壊したくないから」や「ニルセンに腰抜けと思われたくないから」という側面のほうが強いのではないか。その少年らしい心理に共感することはできるにしても、それはひとまず「暴力は暴力を呼ぶ」という命題とは無関係である。また当のニルセンの暴力的復讐志向にしても「母の死」と「父への不信」が大きく影を落としており、これも厳密には暴力連鎖の自動性とは別種の問題だ。

これが難問に挑んだ映画であることは否定しない。しかしこの映画が辿り着いたのは何らかの答えでもなければ、安直に答えを出してしまうことを斥ける真摯さでもなく、「難問はやはり難問だった」という確認に過ぎない。

(評価:★3)

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