[コメント] ナイトメアー・ビフォア・クリスマス(1993/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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2004年10月31日、わざわざハロウィンに合わせてデジタル・リマスター版を鑑賞。その4日後には期間限定ナイトメアー版ホーンテッドマンションを体験するためTDLに出向いた。それほど愛しい作品として我が家では扱われている(4点だけど)。
しかし日曜にも関わらず映画館はガラ空き。約10年前の公開当時だって、ティム・バートンの名前に釣られたマニア客ばっかりで家族連れは僅か(デート映画なんてあり得ない扱い)。その家族連れの大半は頭からクエスチョンマークを出しながら帰っていったし、「子供にこんなもの見せるなんて」と怒っている親までいた始末。TDLのホーンテッドマンションだって「何でこんなオチャラケたものやってるんだ」と怒っている客もいた(だったら乗るな)。もちろん「ずーっとナイトメアーのままでいい」という客もいたけどね。
つまり、この映画は決して一般的なものではなく、この映画が最高だのサリーがイケテルだの言ってる人達、有体に言えばここのコメテ達ですけど、周囲から「頭のオカシイ奴」と思われる危険があるので注意してください。私?もちろん頭のオカシイ奴ですよ。夫婦共々。
やっと本題。 一般的にティム・バートンの「画面」のイメージは一つしかない。「黒」を基調とした「暗い色調」。本作も『バットマン』も『シザーハンズ』も『スリーピー・ホロウ』も、異形のものはモノトーンに浮かび上がる「黒」なのだ。
しかし、本当はティム・バートンの映画にはもう一つの色調がある。白あるいはカラフルな「明るい色調」である。『ビートルジュース』や『マーズ・アタック!』や『ビッグ・フィッシュ』が主にそれに当たるが、それらは大抵の場合、「典型的なアメリカ郊外の家庭」として登場する。『シザーハンズ』あるいはティムバートンの原点であり最高傑作だと私が思っている『フランケンウィニー』が典型的な例だ。
本作と同時上映の『ヴィンセント』を観れば分かるが、ティム・バートンは、そうした典型的アメリカ中流家庭に育ったのだろう。その一般的に「健全」と言われる家庭の中で、一般的に「不健全」と思われる妄想に浸っていたに違いない。 つまり、ハロウィンの住人達はその存在自体が悪いのではなく、クリスマスという一般的に「健全」と言われる世界との対比において「不健全」という烙印を押されるのだ。 ティム・バートンは、常に「明」の影で闇に葬り去られようとする「暗」に感情移入する。
だから、この映画自体が、一般的な「健全さ」を求める人達から「不健全」な扱いを受けるのだ。そして、この映画が最高だのサリーがイケテルだの言ってる人達、有体に言えばここのコメテ達が「頭のオカシイ奴」と思われる危険がある理由もそこにあるのだ。
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