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[コメント] 永遠の僕たち(2011/米)

「微笑み」の映画。彼と彼女の清らかな恋愛は「熱烈な男女愛」というよりも「好意」とでも呼び留めておくほうが似つかわしい。ただしそれは、掛値なしの、無条件の好意だ。ミア・ワシコウスカが初めてヘンリー・ホッパーに(そして私たちに)顔を見せるカット、その振り向きざまの微笑みがそう思わせる。
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**ネタバレ注意**
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むろん彼らはシーンによっては激昂したり大粒の涙をこぼしたりもするのだが、彼らの美しい表情の多くは、そしてこの映画に固有の温度と呼ぶべきものは微笑みがもたらしている。ラストシーン、今は亡きワシコウスカとの想い出がホッパーの胸の内に次々と浮かび上がる。先にも述べたワシコウスカが振り向きざまに送る微笑みのカットの直後、まるで視線を外した「切り返し」でもあるかのようにカメラに正対したホッパーが俯き加減に微笑みを浮かべ、映画は幕を閉じる。ホッパーの屈折は自らの臨死体験や両親の死以上に、両親に別れを告げられなかったことが原因であるとほのめかされているが、正しく告げられる別れはむしろ微笑みを伴う――と云ってしまえばいかにも理想論めいているにしても、ガス・ヴァン・サントがまなざした彼らの微笑みに「嘘」を見出すことはできない。あるいは、一般的な(?)「幽霊」「旧日本軍の特攻兵」のメンタリティとは懸け離れた加瀬亮のキャラクタにしても、それは微笑みが象徴していると云えるのではないか。幽霊や特攻兵がこのように微笑む存在であると私たちはおよそ想像しない。

ところで、路上の二人の全身がほどよくフレームに収まって交わされる初めてのキスシーンやワシコウスカが不意に「森の精」の芝居を始めるシーンなどなど、美しく忘れがたいシーンは数えきれないほどあるが、ここではもっと小さなところに目を向けてみたい。たとえばホッパーと加瀬が興じる「潜水艦ゲーム」、ワシコウスカが「チャールズ・ダーウィンの信奉者」であるという設定、ホッパーとワシコウスカの「小学生サッカーの観戦」デート、余命に三ヶ月もあれば何でもできるという話の中で少しばかり唐突に現れる「マリンバを習うことだって」という言葉。このような紋切型から一歩だけ踏み出した着想が豊かな滋味を醸し出し、いつか知らず私たちは映画の味方になってしまうだろう。

(評価:★4)

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