[コメント] わが母の記(2012/日)
原田眞人の演出は冒頭の食事シーンの食器の動かし方を見てもわかるように、普通に撮れば退屈になるような日常場面にもアクションを盛り込んでいて一つ一つの場面は面白い。しかしカットの繋ぎ方は随分おざなりなように感じる。役所広司と樹木希林の最初の会話シーンの切り返しにおいてイマジナリーラインを越えているのもただ単に編集が失敗しただけなようにも思えてしまう。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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カットの繋ぎ方の雑さにも現れているように、この映画は一つ一つの場面はそこそこ面白くてもそれが全体の流れとして繋がっていかず、それゆえに大きな感動も得られないのではないか。
冒頭母親から渡されたおまもりは次の場面に映された役所広司と少年が同一人物であると示すだけに過ぎず、その次に渡されたわさびには何か意味があるのかと思ったらその後の食事シーンで普通にすりおろされてその役目を終えてしまう。叩き飛ばされた娘のかたつむりのジオラマにしても、唐突に出てくる『処女の泉』にしても意味ありげなようで一挿話でしかない。
一応冒頭の雨のシーンでそれとなく示されてはいるが、母親との確執や情愛も単に台詞で説明されることが多い。海は2回出てくるが、母親が海を怖いと感じるエピソードが台詞で説明されただけなのでこちらとしては海を見たところで大きな感慨を抱くことはできない。何も映像がストーリーに従属すればいいとは言わないが、小道具の使い方といい演出がその場その場を面白くするだけで終わってはいまいか。ラストのおんぶのシーンも回想で母親におんぶされるシーンぐらい入れておけばもっと単純に感動させられるはずなのだが、わざとそういう安易な手法を避けたのか。正直何がしたかったのかよくわからない。
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