[コメント] 家族の庭(2010/英)
自分の孤独について語ろう。(2012/5/17)
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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辛辣な映画だ。 予告編の甘い香りは映画のラストシーンで吹き飛ばされる。
自分に置き換えると尚更リアルだ。
まず、15年ほど前に親から勘当され、今は家族も失い、その後告白した女性ほ会社の同僚に寝取られ、仲間も次々に再婚し、まるで孤独だ。 そしてこれが現実。
この映画の中心に居座る若作りした初老の女性は自分だ。 若くありたいと思う。 誰かと連れ添っていたいと思う。 思いが強くなるほどに、どんどん孤立する。
ではこの思いとは何だ?
それは動物としての本能なんだろう。
かのシューペンハウアーは「幸福について」で自分自身に対する態度として、ラブリュイエールの言葉を用いて「我々の不快は独りになれないことが原因だ」と言っている。
つまりは社会の誰かと接することは苦痛の連続なのだ。 妬み恨みなど感情に導かれる社会に快楽などない。
この家の夫婦はいかにも円満だ。 しかしカウンセラーの妻は、冒頭で睡眠障害の女性の相談に乗りながら、会社の同僚である女性を孤独に陥れる。 そして自らが自立しないと孤独から逃れることができないと諭す。
これは正に合成の誤謬。
全てが正しいのに全体最適に至らない。
これが世の中の真実なのだろうか?
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