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[コメント] 苦役列車(2012/日)

脚本のいまおかしんじが、原作に付け加えた要素は「希望」への手がかりだ。それを受けた山下敦弘が手堅い演出で、貫太の中をただ過ぎて行く無為な時間に、多角的に「自覚」というクサビを打ち込み、「次へ」という価値を付加することで真摯な娯楽映画になった。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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その分、貫太の性分としての「どうしようもなさ」の悲しみと可笑し味が薄れてしまい、原作ファンとしてはちょっと肩透かしを喰らった観があるのだが。

西村賢太の原作は自虐的な悲しきユーモアが漂うにせよ、トーンはあくまでもダークであり、柳町光男の『十九歳の地図』(1979年・原作中上健次)のようなへビーな映画を想像していた。まったくベクトルが逆だった。大雑把にくくれば、どうしようもなさのなかに希望への手がかりが垣間見える三浦大介の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(2010年・原作花沢健悟は漫画だ)だった。

例えば、逆ベクトルの端的な例を上げると、「十九歳の地図」と本作、それぞれの主人公に重要な役回りでからむ中年男がそうだ。前者の主人公の先輩紺野(蟹江敬三)は、不具の女を「僕のマリア」として熱愛する絶望の象徴のような男だった。一方、本作の高橋(マキタスポーツ)は、原作になかった歌という特技を与えられ、一縷の才にすがるようにあがくことで貫太(森山未來)のみならず我々観客の覚醒をうながす。

「沈没への諦観」を自覚するのではなく、自覚することで「状況からの離脱」に望みをつなぐということ。この価値の転換は、作者たちの世代差に起因するものだろうか、社会そのものの変転がうながした時代の要請なのだろうか。四方田犬彦や中沢新一ではないので難しいことは、私にはよく分らない。ただ、いまおかしんじや若い山下敦弘が、このような価値の転換を自覚的に、進んでおこなっているということが、今の時代にとって重要なのだと思う。

あと、もうひとつ。正二(高良健吾)の彼女が素晴しかった。80年代の後半、時代の勢いに無自覚に流されているだけの、あんな女(男も)どもが大勢いた。演じたのは中村朝佳という21歳の人だそうだ。バブル時代の狂騒など知るはずもない若さで、当時の「馬鹿」のツボを上手くおさえて25年前の「気分」を存分にふりまいていた。勘のよさそうな、今後が楽しみな女優さんだ。

(評価:★4)

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