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[コメント] ジャンゴ 繋がれざる者(2012/米)

そのやり口で何を撃った?
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







賞金稼ぎなので、まずは賞金首を撃った。ただし『デスペラード』の酒場で自ら語っていたような、こまっしゃくれ顎なやり口で。

次に、かつての仇を撃った。自分と嫁に因果を負わせて引き離した憎っくき仇敵への復讐を早々に果たして、これが復讐劇でないことを宣言した。

問題は、このあと何を撃つかだったはずだ。

まずは、差別主義者どもを飛んで火に入る夏の虫のごとく吹き飛ばした。ただし注目すべきは、『イングロリアス・バスターズ』のナチスに通じるやり口で描かれたKKKたちで、とことん笑い者にされるかわりに、彼らとて当たり前の人間味が許される。この逆説が許せない人々は、彼の映画を一生喜べないだろう。

次に、ふたたび賞金首を、その子供の前で撃ち殺した。勧善懲悪を気取れない苦い現実の音色がそこはかとなく染み渡る。撃鉄の反動には軸足の踏ん張りが必要で、それが常に正義や倫理や美意識を裏切らないならいいが、悪党を撃って何も知らない子供が傷つくことだってある。そんな苦みを呑みくだして進むしかないのだ。

はい、ここから状況は、もっと複雑になって、あれよあれよとマカロニ・ウェスタンの領域から抜け出します。

無法者が恐ろしいのは無法の世界にいればのお話で、それはサバンナにいたらライオンが怖いのと一緒だ。荒野やサバンナにいない我々の日常においても恐ろしいのは、えてして自らは力をふるわない人間だ。ありあまる権力と財力と暴力と残虐性を持ちながら法律に保証されている、もっと凶悪で現実的な、つまりはキャンディのような人間だ。

このキャラクター、このディカプリオは、いつもの彼と言えばそうなのだが、それでも過分に鮮烈だ。追い込んだ奴隷を平然と犬に喰わせる残酷さと強烈な差別意識は、最終的に主人公ふたりを震え上がらせるほどの猛威をふるう。

そういう相手を前にして、正面突破の拳銃バンバンは通用しない。これは、弾丸をぶち込んで終わりにできる話では到底ない。主人公たちは変装ばかりでなく、心をもねじまげざるをえない作戦に身を投じることになり、勝負は頓知と拳銃バンバンから高度な腹の探りあいへと推移する。相手を出し抜くために、自分を殺すどころか、最も忌まわしい役所を演じることにさえなる。ときに、目の前で奴隷が犬に喰われるのを看過せざるをえないような、自らの行いと自らが寄って立つ自意識とが灼熱に炙られる戦いなのだ。

こいつらは外道だ――そう思ったとしても彼を見殺しにした自分の、いったいどこが彼らと違うって言うのか?

その戦いで、主人公ふたりは、キャンディの猛威により乾布なきまでに叩きのめされる。作戦は彼の下僕たる黒人の激しい同族嫌悪によりアッサリと見破られ、身ぐるみを剥がされることになる。

即座に撃ち殺されるほうがましだったかは判らない。少なくとも二人は、銃を抜くことさえ許されず、相手の威圧に震え上がって、もろ手をあげずにいられなかった。完全に屈服させられ、高らかに宣言された――

「良い商談だった!」

あまつさえシュルツ(ヴァルツ)は、敗北感に拘泥するなか、あるいは見殺しにした哀れな奴隷の断末魔がよぎるなか、キャンディから握手をもとめられた。これは、靴を舐めろと言われたようなものだ。耐えかねた彼は、自らの一線を守るべく、負け惜しみの銃弾を見舞う。そして懺悔しながら、自らを罰するように銃弾を受ける。

こんな拙い言葉では語りきれないし逆に陳腐に聞こえてしまうでしょうが、本当に、ここまでのくだりがあまりに秀逸で完璧で、自分には至福の映画に思えた。

このあと映画は、律儀にも自身をマカロニ・ウェスタンに返還する。“一度とっつかまって叩きのめされて死にかけて、それでも逆襲する”の法則にのっとった展開に身をゆだねる。

もちろん、いったんジャンルを飛び出しておきながらジャンルに帰着するだけでは済まされないことなど重々承知している作家なので、テーマを完結させることによる周到な裏付けも忘れない。

その最後のテーマは、被差別者たる黒人の内なる葛藤へのケリだ。隷属意識の象徴たる老いた同族を容赦なく葬り去って終わるというのは、いかにも痛快で、流麗で、なんともバランスが良い。良すぎるぐらいなのだ。

律儀でバランス感覚に優れすぎている――

敬愛さえしているこの天才、フィクションに対する私の個人的な欲求を誰よりも満たしてくれるこの作家に、今回あえて一点歯がゆさを覚えたとすれば、この点だ。

ヴァルツのシュルツは背景を欠き不完全ながら尚ご意見無用の面白味をたたえ、ディカプリオのキャンディは西部劇を易々と超越しながら完成されすぎていた。告白すれば西部劇に対する造詣と愛着がほぼ無い自分にとって、ふたりの退場は損失が大きすぎた。

これは本当にただの贅沢でしかないのだけれど、俺はあの場面を越えてなおも裏切られ続けたかったんだ。愛するジャンルを裏切らない魂に絶対の信頼を感じながら、でも、あんた、ジャンルなんか踏みつぶしてもっと高く飛べちゃうだろう? と思ってしまうのだ。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (9 人)jollyjoker[*] Orpheus Gala[*] カルヤ[*] DSCH[*] けにろん[*] たろ[*] おーい粗茶[*] ペペロンチーノ[*]

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