[コメント] ジャンゴ 繋がれざる者(2012/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
(『イングロリアス・バスターズ』のネタバレあります)
非情なトリックスターに見せかけて、実は真っ当な神経の持ち主であるキング・シュルツの「すまん、我慢できなくて」という台詞に、タランティーノの作家性、倫理性が集約されていると思う。
タランティーノが真面目でなかったことなど、多分今までただの一度もないのだけど、こと前作『イングロリアス・バスターズ』で、タランティーノの映画論を一身に背負ったショシャナの死のシーンには、未だに僕は強い痛みを感じている。彼にとって映画は現実と切り離されたファンタジックな娯楽でなければならない。それが彼の倫理性であって、過剰な血飛沫はその倫理性の表明である。彼が苛烈になればなるほど倫理性の刃が研ぎ澄まされていく、ということを理解できなければ、まず彼を愛することはできないだろう。
「映画を現実のバイオレンスの契機に利用するという行為」である全体主義プロパガンダとそれに与した者(主犯格はゲッベルス)を、その倫理性(愛といってもいい)故に映画をレイプする悪魔だと本気で憎んでいるタランティーノが、聖地である映画館ごと彼らを吹き飛ばすことを画策させ、にも関わらずその結果を見届けさせることなくショシャナを殺したときに、言いようのないタランティーノの無常感や真っ直ぐな怒りを初めて感じて、「こんな重くて湿っぽい上に観念のために筋が仕組まれてるのはタラちゃんじゃないわ」という感想ではなく、「いや、むしろこれがタランティーノではないか」と思った。
今思えば、やはりこのときも彼は「蹂躙される映画の人権(?)」という題材を前に怒りを抑えられなくなり、そのような筋を「すまん、我慢できなくて」と照れながら、しかし書かずにいられぬままに書いたのではないだろうか。蘊蓄語りを超えて、語りたいことが不器用にもむき出しで出てしまった。とてつもなく器用だったはずの彼がそんなことをしてしまった。にも関わらず、演出のキレはどこまでも彼の映画そのもの。そんな映画だったのではないだろうか。僕はそんな彼の『イングロリアス・バスターズ』を、最高傑作だと確信したのだった。
前置きが長くなりました。
前作で映画の倫理を語りきった彼は、「倫理的なファンタジック表現」の突き詰めに転ずるために、「現実」を再度遠くに押しやるかと思われた。しかし、それは既に『キル・ビル』や『デス・プルーフ』でやってしまっていた。彼は彼自身のキャリア、演出スタイル、倫理観を振り返り、彼が彼であるままに彼しか出来ないことは何か、ということを徹底的に考えたに違いない。
タマを切り取る拷問(ただし未遂)のカメラワークや、奴隷同士の格闘戦、脱走した奴隷を犬に食わせる表現は、まったくタランティーノ的なファンタジック表現であるにも関わらず現実とイコールになっている。カルビン宅にある悪趣味な銅像、そのギャグとしか思えない(事実ギャグなのであるが)現実が確かにそこにあったという手触り。今回のタランティーノは、これまで彼が声高に「これは映画だよ、お遊びだよ」と叫ぶために使用してきた悪趣味によって、それが悪趣味ではなく現実として存在した歴史を描くことを選んだ。
彼の悪趣味が現実的に感じられたことなど今まであっただろうか。衝撃を受けたが、彼の倫理性を前提にすれば、「悪趣味で悪趣味を撃つ」というのは、至極当然のことだったかもしれない。悪趣味が必然として暴れ回ることが出来る題材選定がクレバーというか狡猾だという向きもあるかもしれないが、前述の通り、僕は彼を「照れながらも我慢出来ずに真面目なことを語る人」だと考えている。トリックスターに思われたシュルツが人権蹂躙への真っ当な怒りを持った人間であることが分かるにつれて増していく愛着は、何だかタランティーノに寄せる僕の気持ちと相似していて、何だかうまくかけないのですが、カルビンを撃ち殺し「すまん、我慢出来なくて」とシュルツが自嘲的な笑みを浮かべて撃たれたときに、ああこれも紛れもなくタランティーノだ、この人は曲がったことが本当に嫌いなんだ、こういうところでポーズを取れる人間ではない、本当に犬に食われるべきものは他にたくさんあると本気で思ってる、その「嫌い」を表明するために自分の才能をどう使うべきなのか自分で限りなく理解して、悪趣味が人の快感も不快も喚起することも全て理解して、ドンパチが撮りたくて我慢できないのは映画的倫理観からも人間の本性からしても本当だし、曲がったことが我慢できないのも本当で、照れて自分を爆破してみせて「カ〜ワ〜イ〜イ〜」と言われたがるのも本当で、「本当」=「我慢の限界」に立ってこの映画を撮っているのだと感じ、
限りなく巧妙な嘘っぱちでありながらどこにも嘘がない
という映画人としてのあまりにも当たり前で正しいあり方に、改めて涙が出るほど感銘を受けたのでした。
何だかうまく書けずすみません。
※ ゾーイ・ベルさんがチョイ役だったのはちょっと残念だったかなあ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (11 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。