[コメント] 偽りなき者(2012/デンマーク)
官憲司直が手を下すにも及ばないマッツ・ミケルセンの『それでもボクはやってない』。ウィズ眼鏡のマッツ・ミケルセンとウィズアウト眼鏡のマッツ・ミケルセンをいっぺんに玩味したい! という一部観客からの要望に応えたサディスティックな逸品。先人の俚諺「一粒で二度おいしい」とは云い得て妙である。
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映画を見終った人むけのレビューです。
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こんな映画を撮って何が楽しいんだ? と疑問を覚えずにはいられない、まったく見事に憂鬱な語りぶりだ。ということで、ひとまずは噺と芝居を愉しむ類の映画なのだけれど、サディズムの完成に向けてトマス・ヴィンターベアは抜かりないと思わせるのは、離れて暮らす息子がいるとの設定をミケルセンに与えている点である。「失態を演じた父親の威厳が失墜する瞬間を息子に目撃させる」という、すなわち『自転車泥棒』『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』パターンの最悪版が展開される。何しろ窃盗が露見して袋叩きに遭いかけたり上司に媚び諂ったりするどころか、幼女に対する性犯罪の嫌疑をかけられて襤褸糞扱いされるのだから。もちろん、正確に云えば、ここでの息子はそれでもなお「威厳が失墜した」などと思ってはいないだろう。父を信じ、慕い続ける。そこがまた切ない。胃が痛い。
ところで、ミケルセンの冤罪が晴れるという終盤の展開はある種のご都合主義と呼ぶべきものだろうか。安直にそう思われてしまわないためにも、ヴィンターベアはあの複雑なエピローグを用意したのだろう。初めに私はいいかげんに『それでもボクはやってない』を引き合いに出したが、作者としてはこれを『わらの犬』にすることもできたのだ。それでもこの結末を選択したというのは確かにひとつの見識である。
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