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[コメント] 風立ちぬ(2013/日)

作りたい飛行機はただひとつ 見せたい人もただひとり… 宮崎駿の「夢幻」。
Orpheus

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







寝食を忘れて戦闘機の設計に没頭する二郎。天空を美しく飛翔する夢。結核で命を削られていく菜穂子。床に伏せ、大地に横たわる現実。天空へ羽ばたこうとする者。大地から飛び立つことの出来ぬ者。試作機(七試艦戦)が失敗し、失意のなか軽井沢を訪れた二郎。すべてを忘れさせる「魔の山」で、それでも忘れ得ぬ二郎の夢を乗せた紙飛行機はふわりと風に乗り、「階上」にいた菜穂子のもとに辿り着く。交錯する二郎の夢と菜穂子の想い。紙飛行機は「階下」へと投げ返されるが、二郎の元には帰らず、亡命してきたと思しきドイツ人の「掌」のなかでぐしゃりと潰れてしまう。

二郎が夢中になる飛行機の設計とは、混沌の中から秩序を作り出してゆく地道な作業に他ならない。生みの苦しみ、その暗闇の中を「手探り」で彷徨っていた時、蒲団の中から差し出された菜穂子のか細い「手」は、後で振り返ると、二郎にとって壁の隙間から射す一筋の光にも等しいものだったのかもしれない。限られた資源と工業力の中で国の生き残りをかけた戦闘機を作り出すため、かたや結核という死せる病と闘うため、果たすべき責務を各々が負いながら、残された僅かな時間を凛と生きようとした二人の男と女。ガル翼の美しいその飛行機(九試単戦)が颯爽と風に乗ってはじめて大空を舞った時、つまり二郎の紙飛行機がいよいよ現実のものとなったその時、サナトリウムから抜け出してきた菜穂子が自らの命を振り絞り、最期の力を与えてくれていたことに二郎はようやく思い至る。

人生や人間社会は、二郎のライバル・本庄が何度も口にしていたように矛盾に満ちている。混沌のなかから秩序を作り出すためには、大事なものや美しいものも犠牲にせざるを得ないという非情な現実がある。「まだ分からなくても、分からないものに出会うことが子供には必要で、いつしか分かるようになる」(宮崎駿)。菜穂子が投げ返そうとした紙飛行機が二郎の元に戻って来なかったのと同じように、二郎の送り出した零戦もまた祖国の空には帰って来なかった。最後の夢のなかで、飛び去った零戦と失われた命たちが、大きな「ひこうき雲」を形作ってゆく。国は敗れ、武装解除された日本では新たに飛行機を作ることは禁じられた。それでも生かされた者は生きねばならない。戦争は過ぎ去り、短い生をかけぬけた菜穂子との想い出とともに、二郎の想いも、あるいは大空に散った多くの英霊も、全ては夢幻の彼方へと溶けていく。限られた生を尽くし、持てるすべての力を出し切ったかのような、美しく切ないクロージング。これを泣かずして、何に泣けというのか。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)DSCH[*] けにろん[*] 甘崎庵[*] 赤い戦車[*]

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