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[コメント] 地獄でなぜ悪い(2013/日)

世界は二人のために。
ロープブレーク

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







出獄したら娘が主演の映画を見たいという妻(友近)の夢を叶えようとして奔走する組長(國村隼)、そんな父の思いに応えようとする組員たちと、抵抗しつつも最終的には受け入れる娘(二階堂ふみ)、娘の希望に応えて身体を張って一日恋人を演じる男(星野源)。

それに対抗するのは、敵対する組のかつてのヒットマンの生き残りで夢見る組長(堤真一)とその組員たちだ。

そして、その抗争を映画に撮ろうと奔走するファックボンバーズの面々。

こいつらが、ロマンあふれる愛とアクションの物語を紡いでいくが、最後に一気に警官隊により無慈悲に掃討されほぼ全員が死ぬ。そういう話だ。

最後まで生きていたのは、夢もロマンも関係ない公権力と、撮りたい映画を撮った男(長谷川博己)と、公権力に従ったが故に夢とロマンから隔離され所定の刑期を終えた女(友近)だ。

つまり、公権力以外、二人を残して皆殺しになるのがこの映画の骨子なのだ。撮りたい映画を撮った男(ただしまだ編集されておらず映画は完成していない)と、まだ見ぬ見たい映画を切望して時を重ねてきた女(ただしその映画を見ることができるのかまでは描かれていない)の、出会いの前でこの映画は終わる。

この映画の世界に生き残ったのは二人。世界はたった二人のために。撮りたいものを撮る男と、見たいものを見たいと言った女。そいつらの欲望に人生をゆだねた者どもは、一人残らずくたばり果てた。人の欲望を自らに引き受ける者は死ぬ。そうでないものは生き残る。しかし、そうやって死ぬ者どもがいなくては映画は撮れず、映画は撮られることがなければ、それを見ることができない。そして、そうして死んだ者どもが永遠の命を得る場所として映画はあり、国家は、自らの欲望のみを生きる者以外を、ある時ふいに陰から表に現れて容赦なく亡き者にしてしまう装置として存在している。

そんなメッセージを、園子温の潜在意識に見てしまうのは、まるきり野暮でナンセンスな行為であるだろうか。桜の樹の下には、屍体が埋まっている。桜の代紋と言えば警察の紋章である。国家を可視化する警察はやはり、死の象徴なのだ。

人の欲望を自らに引き受ける者は死ぬ。映画はその華々しい墓標であり、おそらく劇場と化した現代の国家もまた、大いなる墓標なのだろう。桜は国花でもあり、映画は国家のもとに作られ(シネスケだって映画の国籍を記す!)、国家を映す。ヤクザという題材のなんと日本的なことよ。自らの固有の欲望に忠実に生きるか、他人の作品の中に死ぬか。最期の審判の時まで国という装置が随伴する。それが、現代の日本に生きる我々の宿痾であろうか。そんなことを考えた。

(評価:★4)

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