[コメント] ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区(2012/ポルトガル)
映画を見終った人むけのレビューです。
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アキ・カウリスマキ篇:各カットの充実ぶりもさることながら、諸カットの連鎖がほとんど自動で行われているかのような錯覚を与えることに驚嘆する。たゆまぬ研鑽によって獲得したアルチザン的技巧においては、このオムニバスの面子にあっても一頭地を抜くと云ってよい。またイルッカ・コイヴラによる「黒板のメニューを書き直す」「スープを匙で掬う」など何気ないはずの所作も、そのサウスポーのためもあってきわめて印象深く刻み込まれている(包丁だけは右手で握っていましたが)。このように「手」に映画性を見出だすカウリスマキの志向のルーツはむろんロベール・ブレッソンに求められるべきなのだろうが、カウリスマキの「手」はブレッソンのそれが即物性を起点にして官能性や聖性に至るのとは大きく趣きを異にする。この短篇でカウリスマキが強調するのはあくまでも「手仕事」の主としての手である。ブレッソン的「手」演出のプロレタリアート的解釈とでも呼んでみたいところだが、そこに認められる労働者に対するシンパシーという一点を取り上げても、カウリスマキの作品歴は誠実に一貫している。
ペドロ・コスタ篇:作家としての一貫性を評価するならば、むやみに格好よい画面を繰り出すコスタについても同様に遇さねば公平さを欠くだろう。しかし、私もかつてある特集上映にて『血』『溶岩の家』『骨』『ヴァンダの部屋』さらに『映画作家ストローブ=ユイレ あなたの微笑みはどこに隠れたの?』を立て続けに浴びて熱狂を覚えた観客だが、以来、作が重ねられるごとにむしろコスタに対する懐疑は強まっている。些細なことかもしれないが、たとえば、彼がディジタルカメラに持ち替えて以降スタンダードという画面アスペクト比を採用しつづけているのも、今となってはある種の観客に対するおもねりのようで胡散臭く思える。とりわけこのようにオムニバス中の他の篇がアメリカンビスタであるにもかかわらず自分だけスタンダード・サイズを貫いてみせるのは、スタンダード時代の作品に目配せを送った映画史的行為であるどころか、非フィルムすなわち(ディジタル・シネマ・パッケージ、場合によってはブルーレイディスクなどによる)ディジタル上映時代の恩恵に浴しきった選択でしかないと断ずるべきだろう。というのは云うまでもなく、もし一本の上映フィルムにビスタとスタンダードという異なるアスペクト比の画面が混在していたならば、それに応じて映写中に投射レンズを切り替えねばならなくなるからだ(さらに厳密な映写を要求するならば、スクリーン上のマスキング・カーテンの操作も必要となる)。これは物理的に不可能ではないにしても、およそ実際的ではない。もちろん、コマの上下左右に黒味を差し込んで所謂「縮小ビスタ」としてフィルムに焼き付ければ、ビスタ用のレンズ一本でスクリーン上にスタンダード画面を投射することはできる(当然、真正のスタンダードより画像の情報量は格段に劣るが)。「タラファル」を収めた『世界の現状』はおそらくそのようなプリントだったのだろうと推量する(『メモリーズ』および、そこに収められた「うさぎ狩り」は未見)。だが、この縮小ビスタにしても、効率と利潤を優先して多くの上映施設がスタンダード用レンズを備えなくなった時代にスタンダード画面を映写するための云わば苦肉の策であり、非歴史的、すなわち悪い意味で「現代的な」振舞いではないのか。もちろん、これのみをもってコスタと彼の映画の評価を切り下げようというのではない。しかし、依然としてわだかまりは残る。「胡散臭い」という言葉を用いたのはそのためである。
ビクトル・エリセ篇:綿密に作り込まれたミザンセヌの画面にいつまでも見飽きない顔面を召喚し、鼓膜に快い声が過去の記憶を語り出す――それが「映画」の必要十分であるのなら、やはりこれは最高級の映画と云うほかない。しかし私にとっての「映画」はもっと妖しく、危険で、得体の知れないものだ。食堂の集合写真はアコーディオンの調べに乗せて感動的に仕立てようと試みられているが、私にはスタンリー・キューブリック『シャイニング』ラストが想い起こされていささか気味が悪い。
マノエル・ド・オリヴェイラ篇:画面の格調高さと噺の取り留めなさの乖離にこそオリヴェイライズムがあるのだから、不出来な一齣風刺漫画のようなサゲのくだらなさを咎め立ててもオリヴェイラの思う壺である。観光客がぞろぞろ徒歩移動するロングショットに含まれた微量の不穏さに世界屈指の映画作家たる力量が顕わで、悔しい。
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