[コメント] 少年(1969/日)
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当たり屋の手伝いをさせられ、全身にアザが出来ていく少年の姿は、今で言えば正に児童虐待。とは言え、父も継母も、別に少年の事を憎んでいるわけでも、虐めているわけでもない。一家四人の旅の様子は、一見するとただの家族旅行のように、ほのぼのした雰囲気を漂わせる。少年とチビとの宇宙人トークなんて、子どもらしくて微笑ましい。
とは言え、この少年の話す、怪獣と闘う正義の宇宙人というものが、徐々に国家権力の暗喩として立ち上ってくる所が、この映画のミソ。妻と子に収入を頼りきっている父は、戦争で敵に撃たれた傷を誇らしげに見せて、「お前らの当たり屋の仕事なんてのは、俺が味わった、本当に生きるか死ぬかという事とはワケが違う」とのたまう。そんな父の背後には、なぜか唐突に、大きな日の丸の旗が覗いている。そう、この映画は、少年の姿を通しての権力批判に、その根本のテーマがある。
少年は、両親のそばに居る以外には、頼る者もなく、逃げ場もない。だから、家族の為に、走る車に飛び込む事への恐れも無くしていき、腕や脚を失ってでも家族を守ると言うほどの、特攻精神溢れる所を見せるようになる。そんな彼の健気さと従順さは、家族の為、愛する人の為だと言って戦場に散っていった、かつての‘少年’たちの姿とダブる。少年がチビに語る、強くて、大きくて、正義のシンボルである宇宙人とは、恐らく、軍国少年たちにとっての天皇や国家や軍隊の暗喩なのだろう。少年は、大人の語るおとぎ話から捏ね上げた宇宙人を、結局は自ら崩壊させてしまう。そして、真っ白な平原の中で、目にも鮮やかな赤、日の丸の赤は、失われた命が残した色、血の色によって染められた色なのだと知る。
こうした政治色というのは、制作当時の時代背景も含めて、やや一方向的だという見方もあるだろう。だけど、この力業のメタファーというのは、なかなか見応えのあるものだと思う。旅館で囃し唄のように軽薄に歌われる軍歌の、その歌詞の悲壮感とのギャップなど、かなり皮肉が利いている。映画の冒頭に映し出される黒い日の丸は、『マルコムX』冒頭の燃えさかる星条旗と同じくらい、挑発的な意味が込められている筈。
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