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[コメント] 儀式(1971/日)

儀式の様式美と、様式に忠実すぎるが故の滑稽さ。不条理劇として演じられる「美しい国」。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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政界にも人脈を持つ、強力な家長に支配された桜田家の一族を通して、戦後日本の欺瞞を突いた作品。主人公が「本来ならば祖父も戦犯として刑に服すべき存在だった」と評するこの家長は、家父長制的権力のもと、一族の女に次々に手を出して、子を産ませる。結果、異様に複雑化した血族には、近親相姦的な情念が渦巻いている。

結婚式と葬式でしか互いに会わない、血縁者たちの空虚な人間関係。そして、儀式それ自体の空虚さ。喜劇は結婚で幕を下ろし、悲劇は死で幕を下ろすと云う。この映画は、中身の無い儀式を執拗に描く事で、結婚に潜む悲惨さと、死の滑稽さを抉り出す。しかしまた、抑圧の象徴である儀式の執拗さを描きながらも、却って映画そのものは、皮肉なまでに様式美が漂っている。

満州の男=満州男(ますお)と名付けられた主人公が、「真の日本女性」と呼ばれる新婦の席が空いたままの、パントマイムのような披露宴を延々と続けさせられ、更に続いて忠が事故死。この映画の中でも最も皮肉の利いた場面だろう。酔って自ら棺桶に入ろうとする満州男の狂態は、儀式によって緩慢な死を与えられていく人間たちの悲喜劇を、一身に受けた姿だ。初夜と通夜とがゴッチャになって、笑いと涙も一緒になる。これはまさに、不条理劇としての日本国の戯画なのだ。

左翼の筈の伯父が、儀式に参加して酒を呑み、唄を歌う。反対に、国家改造を高らかに謳う右翼青年は、徹底的に排除される。左右の対立も、ぬるま湯のような日本の「空気」によってナァナァにされ、思想の別に関わりなく、この「空気」に水を差す人間は追い出される。その象徴的な場が、儀式なのだ。『少年』に見られたような、本来は悲壮な軍歌が軽薄に歌われる描写は更に進んで、猥褻な替え歌にされてしまっている。「もはや戦後ではない」日本の、なんともグダグダなこの有り様。この十年ほど前に撮られた『日本の夜と霧』の結婚式シーンにあったような鋭い緊張感とは、見事なまでに対照的。大島渚の、この国の生温かい空気に対する絶望感の表れなのかも知れない。

終盤、逃れようにも逃れられない儀式に疲れた満州男が、幼少時に死に別れた弟のように「生きながら土に埋められていくようだ」と訴える場面では、儀式に窒息させられる事と、女性的なるものに包まれていく事とが、並行した出来事として表れる。ここに、解放への最後の願いが吐露されるのだが、結局のところ、満州男は儀式に捻じ伏せられる女を、ただ眺めている事しか出来ない男なのだ。この映画の最後のオチは、これまた『少年』同様、日本の境界、不可能な脱出口としての海の象徴性を用いて、戦慄的な余韻を残す。

この映画には、公開の前年に自決した三島由紀夫の影が、濃厚に刻まれている。どこか三島の面影を思わせる中村敦夫が重要な役どころで起用されたのも、きっとそのせいだろう。

(評価:★5)

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