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[コメント] ムカデ人間2(2011/オランダ=英)

ある意味、映画史上最も正しい意味でカタルシスが味わえる映画
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画を評する時に、その興奮や感動を表現するレトリックとして、「カタルシス」という言葉がしばしば使われる。例えばwikipediaを見ると、次のようなことが書いてある。

「アリストテレスが演劇学用語として使ったのちに、医学用語として転用され、薬剤を用いて吐かせたり、下痢を起こさせる治療行為をいった。そこからオルペウス教などで魂の浄化を指す語となった。」(「カタルシス」の項、2014年11月23日閲覧)

この説明によるならば、連結された人間に下剤(?)を打ち込み、勢いよく排泄される大便によって狂喜する主人公のマッドネスは、正しい意味での「カタルシス」ということになる。演劇用語でもあり、そして同時に医学用語であもり、精神分析的な意味合いも含めて、それらを一挙に下痢便としてスクリーンにぶちまける時、この『ムカデ人間2』は、あらゆる映画の歴史を股にかけているのである。ウンコだけに。

監督が意図していたかどうかは分からない。だが、わざわざモノクロ映画の中で唯一のカラーをここでやってのけたという意味では、仮に意図していなかったとしても、このトム・シックスという男は「カタルシス」というものが何なのか、はっきりと分かっているに違いないと思う。もちろん、それはアリストテレスが何だとか、フロイトの精神分析が何だとか、そういう小難しい話ではないだろう。しかし、映画というメディアにおいて、一体何が大事なのか――そのことを彼ははっきりと自覚しているに違いないと思う。彼は、この「モノクロームの中に映りこむ一部天然色」の感動を通じて、私たちに「映画とは何なのか? 私たちは映画に何を期待するのか?」という根源的な問いを投げかけているのである。

主人公は、まさにこの天然色のウンコが見たいがために――連結された人々を駆け抜ける一筋のウンコが見たいがために――それをずっと待望し続けたのだ。さて、その姿は、私たちがある映画を見たいと思って映画館で入場時間まで待ち続け、上映前にスクリーンに予告編が映される間の感覚と、一体何が違うのだろうか? ついでに言えば、最終的に悪臭に負けてゲロを吐いてしまう主人公の姿は、突き付けられた作品の完成度に、体液の噴出(=涙その他)を抑えきれない私たち自身ではないだろうか?

私たちが映画に期待しているのは、まさにそういう意味での「カタルシス」なのである。それならば、この主人公の「マッドネス」は、私たちの「マッドネス」でもある。この主人公の偏愛・変態は、私たちの偏愛・変態でもある。ただ、対象が違うだけの問題で、構造的には同じである。

そして、そのことを通じて私たちは知るのである。私たちがスクリーンに求めているのは、(やや単純化してまとめてしまえば)「よりリアルな感動」なのである。それは、モノクロームよりも天然色の方が良いし、傍観しているよりも実際に遂行したほうがいいのだ。例えば、「2D映画」が「3D映画」だとか「IMAX」だとかで、「臨場感」を売り物にしてしまうのと同じである。私たちは、そこに自分に最も都合の良い感情を発見したいのである。そして、見終わった時に私たちはスッキリして劇場を後にするのだ。「カタルシス溢れる映画だったね」と。

だが、『ムカデ人間2』を見ればわかる。そういう技術こそが映画の本質的な問題ではない、ということが。その本質は、まさに「私たちが見たいものが見れる」という興奮ではないだろうか。従って、上記のようなことを考慮した時、この作品が「夢オチ」という構造を持っていることには、物語上の必然性がある。この映画は、「映画についての映画」であり、「映画に期待する私たちについての映画」なのである。

トム・シックスのこういうメタ映画的な視点は、例えばミヒャエル・ハネケの『ファニー・ゲーム』にも見ることができる。しかし、ハネケのあの作品はあの作品で素晴らしい映画だけど、『ムカデ人間2』は、少なくともハネケとは違う方向を向いている。ハネケが観客の感受性を逆撫でする時、『ムカデ人間2』は観客の感受性に寄り添う。だから、だからこそ、ご丁寧に、ウンコを着色して噴出させるのだ。そこには、今までの映画史の中で新奇なことをしようと繰り返されてきた実験へのリスペクトがあり、それを楽しみに待ち続けてた私たちへの共感がある。ハネケとは違う、観客に寄り添い、メッセージを捧げる姿勢がある。

そして、それはこういうメッセージだ。「これが、これこそが映画だ!」

この力強い宣言を前にして、「不愉快だった」とか「面白くなかった」とか、そういう評価でこの映画を語ることはできるだろうか。今まで私たちが楽しみに見てきた、そしてこれからも見ていくであろう、映画への愛情が、ここにはある。私たちは一体何を期待して、これからも何を期待していくのか。

問題は、その愛情が、やや分かり易く表現され過ぎていて、他人に勧めることができないことだけど…。

(評価:★5)

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