[コメント] 超能力研究部の3人(2014/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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三名の少女を主人公に据えながら、うち二名を眼鏡娘に仕立てて眼鏡率六六・六七パーセントを達成してみせるというのは、物語一般におけるキャラクタ配置法的に云ってやや暴挙である。二人の眼鏡娘、すなわち生田絵梨花と秋元真夏は顔立ちや背格好が極端に異なっているでもなく、自慢ではないが私は髪型を頼りにしないで彼女たちを瞬時に見分けることができない。などとむやみに凄んでいる間にも映画は進行し、「撮休」なるシーンに至る。ここで二人は役の髪型を解いて眼鏡も外してしまうので、せっかくの弁別法も今や無効。いったい誰が誰やらいちいち目を凝らさねばならない羽目に陥る。このあたりも配役および衣裳/髪型設計の意図したところなのか、それとも単に私が軽度の相貌失認を患っているだけなのかは恐ろしいので判然させないでおきたいが、三者のうち誰を支援したくなるかと問われれば、いきおい即座に見分けがつく橋本奈々未であると答えることになるのは必然の成り行きだろう。
ところで、映画撮影現場におけるあれやこれやを題材とした映画は枚挙に暇がないが、その多くは演出・製作側を主として、出演者の側を従とするものではなかろうか。私の趣味を丸出しにして云えば、たとえばフランソワ・トリュフォー『映画に愛をこめて アメリカの夜』、ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』、クリント・イーストウッド『ホワイトハンター ブラックハート』、ティム・バートン『エド・ウッド』、ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』などがそうである。翻って出演者を主とした作品の例としてすぐに思い浮かぶのは深作欣二『蒲田行進曲』、ベン・スティラー『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』ぐらいかしら。あまり頑張って思い出してしまってはここで『超能力研究部の3人』の稀少性を称揚しようという論旨が損なわれるので敢えて頑張らないけれども、事実として稀少であるかどうかはともかく、この映画の語りは出演者役に寄り添う限りにおいて正しく物語を全うしている。云い換えれば、疑似ドキュメンタリと純ドラマの混成という形式とは関わりなく、『超能力研究部の3人』は虚構であると同時に現実でもあるという点であらゆる「映画」と同等である。
さて、しかし、一点だけ見過ごせないウィークポイントを挙げるならば、それは「撮休」における「海」のシーンだ。端的に云って、ここではシーンに求められているはずの海の美しさが撮られていない。もちろん、メイキング監督役森岡龍が操るカメラはおそらくメイキング撮影用の民生機に過ぎないのだろうし、照明機材もまったく無かったか、少なくともじゅうぶんに整えられてはいなかったのだろう。その意味で、この美しくない海は「リアル」だ。それでも海は(少女たちの感情の分岐点となるに違いない場なのだから、なおさら)美しくあってほしい。映画の「嘘」はこういうところにこそ費やしてもらいたい。ただし付言しておくと、後続するスナックでの「喝采」カラオケは全篇のベスト候補に挙げてしかるべき好シーンだ。少女たちに仰角で迫るカメラが彼女たちの魅力をフィジカルに捉えた例外的シーンだと思う。
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