[コメント] ラブ&ピース(2015/日)
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『俺は園子温だ!』以来、園が誇大妄想なのは誰でも知っていることだが、園本人だけはこれに気づいていないのも世の暗黙の了解事項であった。これは私小説作家などにはよくあることで、自己批評はかくも難しい訳だが、これが園作品の無二の味となって表白されていたのだった。
しかし、ついに本人がこれに気づくときが来たようだ。本作、冒頭のテレビにまで噂される度外れた被害妄想(筒井康隆の「俺に関する噂」が想起される)は分裂症に親和性が強く、一方、後半の成功物語の誇大妄想は躁病気質であり、種類が違うと思われるがどうでもいいことかも知れない。小説まで書いてしまうのだがらこの気づきは園本人にとって大切なことに違いなく、自分の成功を一歩引いて批評した処に生まれた作品と見て見当違いではあるまい。結果は何とも心優しい物語。
典型的なのは西田敏行だろう。ファンタジックな地下室の老人とはハリウッド好みであり、いかようにでも展開できたであろうにこの収束。人形たちに毒を飲まして殺してしまったのかと疑う一瞬があり、ついに園好みかと思いきやサンタになる。これには驚きがあるが、ハリウッド好みに過ぎたように感じられる。このサンタに声を与えられたカメにより、主人公は自分の居場所に帰っていく。RCのフーテン賛歌が鳴りわたる。
もちろん誇大妄想の世界はいつかは終わる。しかしサンタって、そういう人なのだろうか。カメのバックに鳴り響くベートーベンの第九も、そういう曲なのだろうか。サンタも第九も、ここでは日本の年末の風俗として以上の意味はなく、日本人の記憶を呼び覚ますだけに使われており、高度成長を懐かしむぐらいのレトロ感しか感じられなかった(例えば、空き缶を集めている巷のリサイクルおじさんはサンタなのだ、という飛躍を納得できる処まで連れて行ってくれれば凄いと思うが、本作の物語でそこまで云うのはちと無理がある。そもそもサンタはリサイクルと関係がない)。ピカドンなる顰蹙を買うに違いないフレーズをレコード会社の意向でラブ&ピースに変えられた件など、ロック史には幾らでも類例があり、批評されてしかるべき事態だと思うが、特に何の意見もなくあまつさえこれが映画のタイトルになっているのもどういう訳だろう。あと、監督本人の作詞作曲による歌はとても退屈。
本筋は何とも心優しい作品。それ自体としては纏まった佳作で美しいとさえ思うが、ロックスターに仮託した「反抗」までどうでもいいことのように相対化されると、これまでの作品を蔑ろにしているようで嫌な気になる。自分の症状を自覚してしまった園から、以前の悪魔のような作品はもう期待できないのであろうか。そうだとすれば寂しいし、日本映画の損失と思う。かつてボブ・ディランはバイク事故による隠居の理由を「突然作品の書き方が判らなくなった」と語ったが、天才はこのように突然頭から消え去ることがあるらしい。最後まで地味で通す麻生久美子が意外。大抵はワンシーンだけ美人の本性を見せる処だと思うが、これなど何か変調な気がする。
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