[コメント] 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN(2015/日)
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画面からは確かに、巨人と立体機動装置で戦うエレンたちのスケール感はよく出ていたと思う。でも原作の世界観にくらべ、巨人に立ち向かう際の絶望感や閉塞感がいまいち伝わってこない。それはたぶん原作には、諌山創の情念というか恨みつらみというか、連載当初20代前半の将来の見えない若者の不安が見た世界の打ちひしがれるような暗澹たる巨大さがあって、あの執拗なペンタッチ(ことに目の下のクマと、やたら太い吹き出し(バルーン)のビリビリ震えるような線)などの図像を遠して、読者が知らず知らずメッセージとして受けていたものなのだろう。少なくともTVアニメのスタッフはそれに呼応していたと思う。だからこそ、アニメのOPの終盤で、兵団の若者たちが中世の街並みのような屋根を超えて一斉に飛びあがって宙に整列するシーンを表現しえたのだ。あれこそ巨大な世界に立ちむかう現代の弱者たる若者の理想像であり、厨房のハートに火をつけ、多くの中高生に動画で再現されたのだ。そう巨人とは憎き現実の世界の象徴だからこそ、怖いけどやってやる対象であり、捨ててみなければ手に入れられない勝利の賜物なのだ。なのに、映画の作り手たちは、現代社会の成功者の立場から本作を見てしまっている。この作品の本来の世界観の中にあるぬぐいがたい世界への恨みもつらみもない、かつての怪獣少年たちが自分たちの知っている怪獣観で作っているような、本作をコンテンツとしてしか見ていないような本質的なズレがあるような気がしてならない。
ヒロインミカサのあつかいもそう。ペンクロフさんがご指摘の通り、腹の傷を見せるあの場面は腹筋バキバキでなければならないことは当然。本作の制作者たちは腹筋少女萌えというのを知らないのだろうか? 原作プロフィールによれば、エレンとミカサの身長はともに170cmなのに、体重はエレンが63kg、ミカサは68kgである。この体重差に託した作者の思いは感じ取れなかったのだろうか? 女の子に体格でさえ負けちゃうような(世界にくらべ)卑小な僕という屈折。女の子に守ってもらうというコンプレックスと、寝取られるコンプレックスというのは、個人と世界の関わりとの関連で見ればまったく違うだろうに。あの「私は強い…お前たちは見ていればいい」という名シーンもこの改変でなくなってしまったし…。エレンに乳を触らせ「あの子の父になってよ」とあわやエレン童貞喪失?みたいな陳腐なシーンを思いつくあたりがさすが大人のセンスである(悪い意味で)。
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