[コメント] ロマンス(2015/日)
いい加減で前を見ることもない男と、それを嫌悪し「真剣に生きている」自分を肯定し続ける女の道幸。男にとっての、女への口実が明らかになったその時、女のいい加減さも露呈し彼女も己を笑う。だが映画的なカリカチュア化であるふたりのあからさまな身長差もミスリードを誘う罠であり、「ロマンス」とは偽装された徘徊であった。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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タナダユキはやはり女だと思わされるのが、大倉の臆病な優しさの描写である。大体において大倉は大島の気分を損ねるような暴走をすることはなく、「おっさん」という自虐的な役回りを敢えて受け節度ある行動を続けている。だからこそ別れの場に至っても大島に背負わされた傷はなく、大島はさっさと気持ちを片付けて自分の生活に戻ってゆくのだ。だから男は、あくまでもサブキャラだった。「ロマンス」の一方の脚軸ではなかった。
あっさりと物語を忘却の彼方に飛ばしうる「優しさ」はそんなところに起因する。有能で会社からも立派に元の職場に迎えてもらえる、「何事もないラスト」は女性観客へのサービスだった。そんなもんかな、という嘆息はもれる。
観客にとって、これは服を脱がずに安らぎを提供してくれる足湯だ。気持ちはいいだろうが、いっさいのヒロインに託された問題は解決せず、おそらくは冒頭の彼女の恋人への優柔不断な関係もどうもならないのだろう。これでは興ざめだし、タナダには観客への媚びしか受け止められなかった。
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